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日本人はすぐに謝ると聞いたことがあります。
そうなのかなぁ?

謝罪の意味合いではなくてもすぐに「すみません」と言うからかもしれません。

お店で店員さんを呼ぶ時も
「すみませーん」
って言ったりするなぁ〜。

考えてみれば
忙しいところ「すみません」って気持ちもわからないではないけど、
お願いしたいと言う意味合いなら
「お願いしまーす」
って言ってもいいような…

ということで、
最近の私はなるべく「お願いします」と言うことにしています。

で、
今回のタイトルのお話。

つい先日のことですが、お世話になった上司からプレゼントとカードをもらいました。
そのカードに
「・・・・ですみませんでした。」
と書かれていました。

何も謝られるようなことはないし、むしろ私からすると感謝の気持ちでいっぱいの方からいただいたカード。
「すみません」という言葉に違和感を覚えました。

いつも自身の行動を省みる上司の人柄を思うと、
「すみません」という言葉のニュアンスは、むしろ
「・・・・だったけど一緒にがんばってくれてありがとう」
ということのように思えました。

自分の考えではないので今回はあてはまらないかもしれませんが、
「すみません」より「ありがとう」の気持ちを伝えた方が、
受け取った人も気持ちがいいように思いました。

「ありがとう」は魔法の言葉。

言われたらうれしいし、
誰かに言えた自分も気持ちがいい。

「ごめんなさい」「すみません」も大切だけど、
「ありがとう」も大切にしようと思います。

# by Hifumiffy | 2024-03-13 20:37 | ひとりごと
気がつけば2月。


しかも半ばすぎてる。。。


やることだらけで時間が足りない。




というのは嘘で、職場が自宅という環境に甘えて
なかなか思うように進められていないだけ。


自分を律することができないのに一人で個人事業というのは
無謀だったのかもしれないと、、、
10年以上経っても思っている。

あぁあ、Fireなんて夢のまた夢。



いくつまで働かねばならないのかなぁ。
好きなことして生きている人が羨ましい。

好きなことだったことを仕事にすると楽しさが半減する。

私はどうもそういう生き方になってしまうらしい。
何もかも、義務のように思えてしまうのだろうな。


あぁ、もう疲れたなぁ


# by Hifumiffy | 2024-02-16 22:29

もうすぐ20年

新年早々、不安な日本。

災害が起こるたびに自重を促す時代は終わった。

被災していない地域までが自重しすぎて経済が回らなくなるのもよくないということだそうだ。
楽しい番組が被災者の心を和ませることだってある。

日常的なことができない人に申し訳ないという気持ちはあれど、
いつなんどき、自分がその立場になるかもわからない。
そう思えば少し気楽に生きていけそうな気がする。

ひどいことを言っていると感じる人には申し訳ないが、
被災者がどうなってもいいと思っているわけではない。
早く立ち直れるよう、日本の経済を回しておこうと思っているだけだ。

ただひたすらに日常を送る。
毎日、後悔しないように生きていればそれでいい。


最近、生き方を考えてしまうことが多い。

ふと気がつくと、
このブログを書き始めたのが2004年の秋だった。
もう20年経とうとしている。
毎日書いているものでもないし、書かない月も多いが、
こんなに続けていると、昔の自分を見ることができて面白いものだ。

ですます調だったり、言い切りだったり、
文章もまとまりがないブログ。
このブログの読者はいないし、
このブログサイトで知り合った方のブログはなくなってしまった。
優しい言葉があふれるブログだった。
たまに読み返して心癒されていた。

あの素敵な方は今どうしているのだろう。
その後、お母様とはどうなったのだろう。
幸せにくらしていらっしゃることを信じて思い出にひたろうかな。

あっというまに2024年。

今年もたまにはここに書き込みにこようと思う。

# by Hifumiffy | 2024-01-11 17:45 | ひとりごと

終活

2011年5月、東日本大震災のあった日の2日前、
父が緊急入院になったと聞き、急遽名古屋に帰ってきたのをきっかけに、
個人事業を開業することにしました。

1年も経たず辞めることになった会社に申し訳ないと思う気持ちはありましたが、
年老いた両親と共に暮らすことを優先したことに後悔はありません。

父が亡くなった時、私は勉強のため北海道にいました。
その日の朝、迷いに迷って出かけたその日の夜、父は帰らぬ人となりました。
看取ることができなかったことは今でも悔やまれますが、
ある人に言われたことに救われました。

私は看取るために帰ってきたのではなかったのです。
両親と一緒に暮らすために帰ってきたのです。
「長年の夢」ではありませんでしたが、ずっと「やりたいと思っていたこと」でした。

10年にも満たない期間ではありましたが、久しぶりに両親と共に暮らすことができました。
父とも楽しい思い出を作ることができました。
母とは今も一緒に暮らしています。

あの時、会社勤めを辞めると決心していなかったらできなかったことです。
「いつかは・・・」と思っていても実行しなければ「いつか」が訪れることはありません。
そんな当たり前のことが身に染みる機会が増えて来ました。

後悔しないように生きる。
その一つが「終活」です。

私には子供がいません。
いたら子供に任せれば良いということではないでしょうが、
このままでは確実に誰かに迷惑をかけてしまいます。

生き様も含め、きれいにしておかねば…

そんなことを考える今日この頃です。

# by Hifumiffy | 2023-12-20 03:00

夢を叶える

小さい頃からやりたい、なりたいと思っていたことがある。

意識したのは大人になってからかもしれない。

けれど、ずっとやりたい、なりたいと思っていたことに気づき、
それ以来、ふと「やりたいなぁ」と思うようになった。

今の仕事が嫌いということではない。
けれど、一生やっていけることではないと思っている。
座り仕事なので体力的に無理なことではないけれど、
すでに精神的な苦痛になってきているというのが本音。

新しいことが苦手で、
できれば、ずっと同じことをして過ごしたいと思っている。
そんな私にとって、今の仕事は苦手なことの繰り返しなのである。

常に新しいことにチャレンジし続けることは重い腰を上げる必要がある。
楽しいことばかりではない。
理解に苦しみながら、覚えたくないのに覚えなければ、習得しなければならない。
これがいつまで続くのか、考えると未来が真っ暗に思えてくる。

逃げと言われるかもしれないが、
今、この年齢でやってみなければ、2度とやろうと立ち上がれない様な気がして、
今年、夢を叶えようと、二足の草鞋を履くことにした。

私の夢は、スーパーのレジ担当。
人に話すと「なんで?」という人もいるが、
意外と「わかる」と言ってくれる人、女性の友人も多かった。

私はボタンを押すのが好きなのである。

昔のレジは、数字のボタンを器用に打ちながら、
商品をカゴに移すという作業だった。

ボタンを見ずにかちゃかちゃっと数字を打ち込み、
すごい勢いで商品が移っていく。
かっこいいなぁと思った。

あまりに数字を打つのが楽しそうで、
誕生日プレゼントに電卓をおねだりして買ってもらったこともある。
それくらい数字のボタンを押すのが夢だったのである。

小さい時に母親と一緒に行ったスーパーで、
欲しいお菓子を手放すのが嫌でむすっとしていると、
「はーい、シール貼ろうね」
と、笑顔でテープを貼ってくれるレジの女性の対応がうれしくて、
いつか私もこの仕事をしたいと思ったのかもしれない。

今はピッとスキャンするだけになってしまったが、
それでもスーパーのレジ担当は私の夢だった。

時給はそれほど良くないが、夢を叶えたい。
その思いだけで面接を受け、レジに入れてもらえることになった。
すでにレジ担当がいる売り場で、
閉店間際の1時間弱あるかないかのレジ担当時間。
1日の締めの作業が主な仕事になりそうだけど、
それでも1人でもお客様と向き合えるのがうれしい。

おおっぴらに話すことはできないが、
それでも商品について教えてもらったりする際、
人と話すことができる職場であるのもうれしい。

夢を叶えよう

思えばいつでもできたことなのに、なんで今までやらなかったんだろう。

お金は必要だけど、無理なことはし続けられない。
いいお年頃になってきたので、老後の生活がもうすぐ目の前にある。

だからこそ、無理せず細く長く、楽しく生きられる方法を今のうちに見つけておきたいと思った。

そんな今年の春のできごと。

# by Hifumiffy | 2023-05-12 00:10 | ひとりごと

2007年桜とともに…


by Hifumiffy