うさぎのひとりごと
2024-03-13T20:37:14+09:00
Hifumiffy
2007年桜とともに…
Excite Blog
「すみません」より「ありがとう」を
http://hifumiffy.exblog.jp/33715878/
2024-03-13T20:37:00+09:00
2024-03-13T20:37:14+09:00
2024-03-13T20:37:14+09:00
Hifumiffy
ひとりごと
謝罪の意味合いではなくてもすぐに「すみません」と言うからかもしれません。
お店で店員さんを呼ぶ時も
「すみませーん」
って言ったりするなぁ〜。
考えてみれば
忙しいところ「すみません」って気持ちもわからないではないけど、
お願いしたいと言う意味合いなら
「お願いしまーす」
って言ってもいいような…
ということで、
最近の私はなるべく「お願いします」と言うことにしています。
で、
今回のタイトルのお話。
つい先日のことですが、お世話になった上司からプレゼントとカードをもらいました。
そのカードに
「・・・・ですみませんでした。」
と書かれていました。
何も謝られるようなことはないし、むしろ私からすると感謝の気持ちでいっぱいの方からいただいたカード。
「すみません」という言葉に違和感を覚えました。
いつも自身の行動を省みる上司の人柄を思うと、
「すみません」という言葉のニュアンスは、むしろ
「・・・・だったけど一緒にがんばってくれてありがとう」
ということのように思えました。
自分の考えではないので今回はあてはまらないかもしれませんが、
「すみません」より「ありがとう」の気持ちを伝えた方が、
受け取った人も気持ちがいいように思いました。
「ありがとう」は魔法の言葉。
言われたらうれしいし、
誰かに言えた自分も気持ちがいい。
「ごめんなさい」「すみません」も大切だけど、
「ありがとう」も大切にしようと思います。
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あっという間に2月も半ばを過ぎ
http://hifumiffy.exblog.jp/33686048/
2024-02-16T22:29:00+09:00
2024-02-16T22:29:23+09:00
2024-02-16T22:29:23+09:00
Hifumiffy
未分類
しかも半ばすぎてる。。。
やることだらけで時間が足りない。
というのは嘘で、職場が自宅という環境に甘えて
なかなか思うように進められていないだけ。
自分を律することができないのに一人で個人事業というのは
無謀だったのかもしれないと、、、
10年以上経っても思っている。
あぁあ、Fireなんて夢のまた夢。
いくつまで働かねばならないのかなぁ。
好きなことして生きている人が羨ましい。
好きなことだったことを仕事にすると楽しさが半減する。
私はどうもそういう生き方になってしまうらしい。
何もかも、義務のように思えてしまうのだろうな。
あぁ、もう疲れたなぁ
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もうすぐ20年
http://hifumiffy.exblog.jp/33632659/
2024-01-11T17:45:00+09:00
2024-01-11T17:45:43+09:00
2024-01-11T17:45:43+09:00
Hifumiffy
ひとりごと
災害が起こるたびに自重を促す時代は終わった。
被災していない地域までが自重しすぎて経済が回らなくなるのもよくないということだそうだ。
楽しい番組が被災者の心を和ませることだってある。
日常的なことができない人に申し訳ないという気持ちはあれど、
いつなんどき、自分がその立場になるかもわからない。
そう思えば少し気楽に生きていけそうな気がする。
ひどいことを言っていると感じる人には申し訳ないが、
被災者がどうなってもいいと思っているわけではない。
早く立ち直れるよう、日本の経済を回しておこうと思っているだけだ。
ただひたすらに日常を送る。
毎日、後悔しないように生きていればそれでいい。
最近、生き方を考えてしまうことが多い。
ふと気がつくと、
このブログを書き始めたのが2004年の秋だった。
もう20年経とうとしている。
毎日書いているものでもないし、書かない月も多いが、
こんなに続けていると、昔の自分を見ることができて面白いものだ。
ですます調だったり、言い切りだったり、
文章もまとまりがないブログ。
このブログの読者はいないし、
このブログサイトで知り合った方のブログはなくなってしまった。
優しい言葉があふれるブログだった。
たまに読み返して心癒されていた。
あの素敵な方は今どうしているのだろう。
その後、お母様とはどうなったのだろう。
幸せにくらしていらっしゃることを信じて思い出にひたろうかな。
あっというまに2024年。
今年もたまにはここに書き込みにこようと思う。
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終活
http://hifumiffy.exblog.jp/33595396/
2023-12-20T03:00:00+09:00
2023-12-20T03:00:53+09:00
2023-12-20T03:00:53+09:00
Hifumiffy
未分類
父が緊急入院になったと聞き、急遽名古屋に帰ってきたのをきっかけに、
個人事業を開業することにしました。
1年も経たず辞めることになった会社に申し訳ないと思う気持ちはありましたが、
年老いた両親と共に暮らすことを優先したことに後悔はありません。
父が亡くなった時、私は勉強のため北海道にいました。
その日の朝、迷いに迷って出かけたその日の夜、父は帰らぬ人となりました。
看取ることができなかったことは今でも悔やまれますが、
ある人に言われたことに救われました。
私は看取るために帰ってきたのではなかったのです。
両親と一緒に暮らすために帰ってきたのです。
「長年の夢」ではありませんでしたが、ずっと「やりたいと思っていたこと」でした。
10年にも満たない期間ではありましたが、久しぶりに両親と共に暮らすことができました。
父とも楽しい思い出を作ることができました。
母とは今も一緒に暮らしています。
あの時、会社勤めを辞めると決心していなかったらできなかったことです。
「いつかは・・・」と思っていても実行しなければ「いつか」が訪れることはありません。
そんな当たり前のことが身に染みる機会が増えて来ました。
後悔しないように生きる。
その一つが「終活」です。
私には子供がいません。
いたら子供に任せれば良いということではないでしょうが、
このままでは確実に誰かに迷惑をかけてしまいます。
生き様も含め、きれいにしておかねば…
そんなことを考える今日この頃です。
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夢を叶える
http://hifumiffy.exblog.jp/33253978/
2023-05-12T00:10:00+09:00
2023-05-12T00:10:16+09:00
2023-05-12T00:10:16+09:00
Hifumiffy
ひとりごと
意識したのは大人になってからかもしれない。
けれど、ずっとやりたい、なりたいと思っていたことに気づき、
それ以来、ふと「やりたいなぁ」と思うようになった。
今の仕事が嫌いということではない。
けれど、一生やっていけることではないと思っている。
座り仕事なので体力的に無理なことではないけれど、
すでに精神的な苦痛になってきているというのが本音。
新しいことが苦手で、
できれば、ずっと同じことをして過ごしたいと思っている。
そんな私にとって、今の仕事は苦手なことの繰り返しなのである。
常に新しいことにチャレンジし続けることは重い腰を上げる必要がある。
楽しいことばかりではない。
理解に苦しみながら、覚えたくないのに覚えなければ、習得しなければならない。
これがいつまで続くのか、考えると未来が真っ暗に思えてくる。
逃げと言われるかもしれないが、
今、この年齢でやってみなければ、2度とやろうと立ち上がれない様な気がして、
今年、夢を叶えようと、二足の草鞋を履くことにした。
私の夢は、スーパーのレジ担当。
人に話すと「なんで?」という人もいるが、
意外と「わかる」と言ってくれる人、女性の友人も多かった。
私はボタンを押すのが好きなのである。
昔のレジは、数字のボタンを器用に打ちながら、
商品をカゴに移すという作業だった。
ボタンを見ずにかちゃかちゃっと数字を打ち込み、
すごい勢いで商品が移っていく。
かっこいいなぁと思った。
あまりに数字を打つのが楽しそうで、
誕生日プレゼントに電卓をおねだりして買ってもらったこともある。
それくらい数字のボタンを押すのが夢だったのである。
小さい時に母親と一緒に行ったスーパーで、
欲しいお菓子を手放すのが嫌でむすっとしていると、
「はーい、シール貼ろうね」
と、笑顔でテープを貼ってくれるレジの女性の対応がうれしくて、
いつか私もこの仕事をしたいと思ったのかもしれない。
今はピッとスキャンするだけになってしまったが、
それでもスーパーのレジ担当は私の夢だった。
時給はそれほど良くないが、夢を叶えたい。
その思いだけで面接を受け、レジに入れてもらえることになった。
すでにレジ担当がいる売り場で、
閉店間際の1時間弱あるかないかのレジ担当時間。
1日の締めの作業が主な仕事になりそうだけど、
それでも1人でもお客様と向き合えるのがうれしい。
おおっぴらに話すことはできないが、
それでも商品について教えてもらったりする際、
人と話すことができる職場であるのもうれしい。
夢を叶えよう
思えばいつでもできたことなのに、なんで今までやらなかったんだろう。
お金は必要だけど、無理なことはし続けられない。
いいお年頃になってきたので、老後の生活がもうすぐ目の前にある。
だからこそ、無理せず細く長く、楽しく生きられる方法を今のうちに見つけておきたいと思った。
そんな今年の春のできごと。
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本当の優しさとはなんだろう
http://hifumiffy.exblog.jp/32797253/
2023-01-20T18:27:00+09:00
2023-01-23T16:51:27+09:00
2023-01-20T18:27:32+09:00
Hifumiffy
ひとりごと
小さかった甥っ子は、もう19歳。あっという間に大人の仲間入り。
今年のお正月も午後から我が家に集まり、みんなで初詣に出かけることになった。
今年はものすごく久しぶりに母も行くと言う。
うちの近所ではあるものの、
80歳を超えた母には少しきついだろう距離を歩いて行くのだ。
母はこの歳にしては元気な方だが、膝はそれなりに悪いので、
あまり早く歩くわけにはいかない。
ゆっくり歩くのはいいが、きっと母はみんなに気を使い、
なるべく早く歩こうとするのではないかと思った。
みんなが順番に外に出ている。
最後に出る人は警備のスイッチを入れて鍵を閉めるのだが、
手順がわかっているのは母か私のどちらか。
当然、私が鍵を閉めるつもりなのだが、
なかなか母が家を出ようとせず、廊下でぶらぶらしている。
「歩くのが遅いんだから早く出なよ。私が鍵かけるから」
といつもの調子で母に言うと、
「トイレに行きたいから待ってるの」
と母が言う。
と同時にトイレから甥っ子が出てきた。
家にはトイレが2つある。
1階は母が、2階は私が使っているので、
お互い使いたいときに困ることはないのだが、
人が多く集まったこの日は1階も2階も順番待ちをしていたらしい。
「まったく、、、歩くの大変なんだから誰よりも先にトイレ使えばよかったじゃん」
とぶつくさ言った私。
甥っ子は私が母に言った言葉を聞いてびっくりしていたらしい。
後で、他の件で姉と話していたときに姉が教えてくれた。
「甥っ子が
『○○ちゃん(私)がおばあちゃんにきついこと言っててびっくりした。
けどよく考えると、◯◯ちゃんは誰よりもおばあちゃんのことを考えてるって思った。
言い方がきついけど、言ってる内容はとても優しいんだ』
って言ってたんだけど、私もそう思う。」
と姉が言った。
私は優しい。けれど言い方が悪いのできつく聞こえると言うのだ。
自分でもそれは思うことがあるが、
あの程度で?という会話で甥っ子が「きつい」と感じたことはショックだった。
私は言い方がきつい。それがわかっていない時が多い。
でも言ってる内容は相手のことを思いやる優しい内容だって…
これって私は本当に優しいのだろうか?
私は母が大好きだし、イラつくことはあるけど感謝の気持ちの方が勝る。
けど、言い方がきついので母を悲しませている。
こんな私は本当に優しいんだろうか?
違うような気がする。私は優しくないんだと思う。
思いやる気持ちはあれど、相手がどう思うか考えてモノを言えないなんて自分勝手。
自分に優しいだけだ。
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日々の暮らし
http://hifumiffy.exblog.jp/32229340/
2022-09-05T19:01:00+09:00
2022-09-12T23:56:46+09:00
2022-09-05T19:01:27+09:00
Hifumiffy
ひとりごと
会社勤めをやめてから10年以上が経ち、
個人事業という不安定な生活を何とか続けていたところ、
新型コロナウイルスが私たちの命を、生活を脅かしてきました。
最初はこんなに続くとは思いもしなかった。。。
まさか2年以上続くとは、恐ろしいです。
私も8月に陽性が確認され、自宅療養を余儀なくされました。
おそらく家庭内感染。
当の本人は「喉がちょっと乾燥しただけ」「ちょっと咽せた程度」などと言っていましたが、
どうみても風邪症状、新型コロナウイルス感染の可能性が高く、
同居の私が自ら無料の抗原検査を受け、その日は陰性。
で、その日の夜に発熱という、検査精度が高くないというのが立証されました。
翌日、発熱外来でPCR検査を受け、翌日の昼には陽性の連絡がありました。
あまりに感染者が増えすぎてしまい、連絡もSMSのみ。
厚労省からCOCOAへの登録用の連絡、
市の保健所からMY HER-SYS のリンク用の連絡が来ただけ。
表示される日にちを過ぎたら外出OKという「これでいいの?」と不安になる状態でした。
(守らない人いてもわからないじゃないと不安に思いました)
そんなこんなでとうとう陽性となってしまったのですが、
実は流行りはじめの頃、微熱が1ヶ月半続く状態になり、
自室から出ない生活を送っていました。
お風呂のときだけ家族と一緒のお風呂を使いましたが、
一番最後、または昼間にひとりでいる時に利用するようにしていました。
隔離生活はいやですが、少し考えちゃいました。
世界中の人に「体を壊したら、体調崩したら休みなさい」って言ってるのかも。
って。
そんなはずはなく、ウイルスはウイルスでしかないのですが。
当たり前に体調の悪い人が自宅で静養してくれれば、
こんなに流行ることはないのかもしれません。
今回の私の症状はそんなにひどいものではなかったので、
今までだったら仕事しに行っていました。
結果、たくさんの人に迷惑をかけていたことになります。
休めばいいんです。
お金がどうこうと言っていてはいけないんですね。
考えさせられます。
あたりまえのことだったはずなのに。。。
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母の車
http://hifumiffy.exblog.jp/31972662/
2022-07-04T00:11:00+09:00
2022-07-04T00:11:09+09:00
2022-07-04T00:11:09+09:00
Hifumiffy
家族とのこと
今年の3月末に契約し、ようやく納車となりました。
高齢者である母が運転することの危険性は、母自身も私もわかっています。
だからこそ、乗り換えることになりました。
今時の車は安全に関するさまざまな機能が充実しています。
それに頼ってはいけないし、絶対ではないことは理解しています。
それでも何もないよりはいい。
高齢者であってもなくても、誰が運転しても、安全な機能が備わっている方がいいのです。
母の運転はとてもゆっくりになりました。
車の運転感覚もだいぶ衰えてきているように思います。
そろそろ運転はやめてもらわねばならなくなりそう…
母もそれは重々承知の乗り換えだと思います。
しばらくは一人で運転して欲しくないけれど、
人が乗ると気が散ってしまうということもあるかもしれない。
とにかく、人を傷つけないように、それだけ。
人から追突されたとしても、それは車に乗ると決めた母の人生。
人を傷つけることにならないことだけ、
とにかくそれだけはなんとしても守ってもらわねばなりません。
新車を引き取りに行った帰り道。
行きはこの車の最後の運転だからと自分で運転した母が、
「帰りはあんたが運転しなさい」
と言いました。
自分は車の機能説明を受けるために少しドライブしたからという気遣い?
きっとそうじゃないと思います。
意外と降り出した雨の中、車も多い広い道、
新しい車で運転するのが少し怖く思ったように感じました。
違うかもしれないけれど、昔とは違う自分のことは母自身が一番知っています。
母が小さく見えました。
母が行きたい時にいつでも運転してあげられれば一番いいのだろうけど、
私にはそれができない。
一人になっても生きていけるだけの資金がまだ足りないから。
他人様の命も母の命も大切。
ジレンマありつつ、新しい車になりました。
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父と娘の大義名分
http://hifumiffy.exblog.jp/30794999/
2022-01-31T23:55:00+09:00
2022-02-12T22:27:50+09:00
2021-11-02T12:43:51+09:00
Hifumiffy
家族とのこと
に北海道に渡った。その日の夜、母から父危篤の電話が来た。すでに名古屋に帰れる飛行機はなく、明朝、少しでも早く帰れるようにと札幌に向かう深夜バスを待っている間に父の死を電話で聞いた。晩年、父は足が不自由だった。私がまだ一緒に暮らしていなかった頃、父と母と出かけるときは母が父の手を引いていた。「まだ歩ける?」と私が尋ねると、「ママと手を繋げるから大丈夫」と父が言った。あまりに珍しいことを言うので顔を見ると、とても嬉しそうな笑顔だった。そんな父が私は大好きだった。娘とは不思議なもので、父親との距離をとる時期がある(ような気がする)。少なくとも私はそうだった。そんな私も実家で両親と共に暮らすようになり、父の手を引くようになった。私が父の手を取って歩いているとき「こんなかわいい娘と手を繋げて幸せ者だねえ」と言うと、「かわいい娘か?歳食った娘だろ」と父が笑いながら言った。父も少しはうれしいと思ってくれていたのだろう。お互い、少しの照れは残しつつ、必要不可欠となった「手助け」を、すんなりうけとめてくれる父と娘の幸せな時間だった。介護という大義名分、というか口実ができ、ようやく父の手を取ることができたのだ。そんな口実などなくても親子で手を繋ぐことは自然なことだと思えるようになった頃、父は逝ってしまった。もっとたくさん、父と手をつなげばよかったと、今も後悔している。父に触れることはもうできないけれど、かさかさに乾燥してるけどふっくら温かかった父の手の温もりは今も私の手に残ってる。介護という大義名分が親子の手を繋いでくれた。そんな暮らしが少しの間でもできた私は幸せ者だ。]]>
これだから・・・は
http://hifumiffy.exblog.jp/30552920/
2021-06-11T14:58:00+09:00
2021-06-11T14:58:12+09:00
2021-06-11T14:58:12+09:00
Hifumiffy
ひとりごと
そんなとき、人は人を攻撃することでストレスを発散することもありますよね。
それはわかるんです。
私自身がそういう傾向を持っているし。
高齢者のくくりに入る母と一緒に暮らしていると、
いろいろ腹が立つことも多いです。
・洗ったはずの食器に汚れが付いていても気づかない
・細かいゴミが落ちていても気づかない
・傷んだものが冷蔵庫に入っていても気づかない
・もうマスクも買えるようになったから、毎日マスクは捨ててといっても取っておく
・同じものを何度も買ってきてしまう
・マスクをせずに玄関先に行ってしまう
などなど、あげればキリがない。
けれど、母が昔からそういう人だったということではないのです。
歳を取るというのはこういうことなんだなぁと、
一緒に暮らしているとわかるようになってきます。
「いつかは私もそうなるんだ」と思いながら、腹も立てつつ一緒に暮らしているのです。
母には腹立つことも多いけど、
今、気になることは「これだから年寄りは・・・」という言葉を聞くことです。
「これだから年寄りはだめなんだ」という内容ばかり。
いつかは自分もそうなるのに、よくそんなひどいことを言えるものだと思います。
このコロナ対応生活は、年寄りにはとても辛いと思います。
変化についていくのは大変なことです。
今までの生活習慣を変えねばならないのって、私たちが思っているより大変なことなんだと思います。
マスクだって苦しいですよ。年寄りだから家にいればいいっていうけど、
足腰が立たなくなりますから、そうも言っていられないんですよ。
家の中を歩けばって思うかもしれませんが、家の中はどんなに片付けてあっても危ないこともありますし、
そもそも、お日様の下を歩いてもらわなくっちゃ骨がますます弱くなっちゃうんですよ。
病院にだって、世間話しにいくんじゃないんです。
痛みをとってもらうために、体の悪いところを直してもらうために行くんです。
世間話だって必要なんですよ。
一日中、一人で家の中にいたら、話し相手もいなかったら、
本当にボケてしまうことだって起こり得るんですよ。
「これだから年寄りは・・・」
いつかは自分もなるのにね。
ふと思いました。
「これだから女は・・・」
「これだから男は・・・」
これは、お互いの違いから出てくるもので、
一生涯、お互いの立場になることはないので、理解できなこともあるってことで、
こういう言葉が出てくるのかな?
「これだからおばさんは・・・」
「これだからおじさんは・・・」
これは、この言葉をいう人の立場によって違うなぁ。
おじさんがおばさんのことを、おばさんがおじさんのことを言うのは性別の違いからのことで上といっしょ。
でも、若い人が言うのはちょっと違う。
いつかは自分たちもなるんだよねって思うのです。
「これだから今時の若い子は・・・」
これは、その世代を生きた人が言ってるんですよね。
これは自分の頃と比較しているんだろうけど、
それもなぁって思うのです。
今だからこそのこともあるんだから。
って考えてたら、やっぱり
「これだから○○は・・・」って嫌な言葉だなぁって思ったのでした。
気づくと言ってることもあるような気がするけど、
できるだけ使わないようにしようって改めて思った話でした。
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徒然なるままに
http://hifumiffy.exblog.jp/30473604/
2021-03-30T09:47:00+09:00
2021-03-30T09:50:01+09:00
2021-03-30T09:47:54+09:00
Hifumiffy
ひとりごと
今回、はじめてかもしれないけれど、このブログにリンクを貼ります。
を読みました。
シオノギ製薬だけがどうこうということではないのですが、
日本で国産のワクチンがなかなか出てこなかった理由がわかりやすく書いてありました。
そしてこの記事をここに貼った理由。
それはシオノギの社長さんが、最初に
ワクチンや治療薬、診断薬を開発するフットワークが重いのではないかと見られていることについては、真摯に受け止めないといけないと思っています。と言っていることです。
いろんな記事が出ています。
インタビューもたくさんあります。
本当は、こういうことを言っていることがあっても、
それが最初に書かれているかどうかで、読む人の受け止め方って変わるような気がしました。
疑ってかかればどんな言葉も嘘に思えてくることもありますから、
万人が同じように受け止めるとは限りませんが、
少なくとも私はすんなり話を聞こうと思って読みました。
日本は平和な国。だからこその油断?もあるのでしょうか。
開発が遅れている理由があるんですね。
後発になればなるほど、倫理的にできないことが増え、
結果、海外に頼らざるをえないというのは困ります。
個人的には親がいなくなってしまったら「私が対象者になってもいい」と思っています。
子供もいないし、独り身ですし、
誰かの迷惑になるような生き方や死に方はしたくないんです。
そう思ってる人、他にもいるんじゃないのかな?
新型コロナの対策は、国が頑張ってくれていることはわかるけど、
誰もが初めてのことで、これが絶対という対策は決まっていません。
誰かのせいにすれば治ることでもないし、
後手後手になっているとかもっといい方法があるのではないかと批判するのではなく、
「もっとこうしたらいいのではないか?」
という具体案が出てくればいいのにと思います。
そしてその具体案が、誰か特定の人だけが得するようなものではなく、
長い目で見て公平な対応だったと思えるようなことであればいいと思います。
難しそうですが・・・
今思うのは、
高齢者が気の毒だということ。
高度経済成長を支えてくれた世代である今の高齢者。
必死で働き、休むまもなく子育てしながら頑張ってくれ、
ようやく「ホッと一息。好きなことをしてのんびり暮らす」はずだったのに、
リスクの高い感染症が広がる世界で生きていかねばならないなんて、
あまりにも気の毒に思います。
一生に一度の学校の行事ができない若者も気の毒だとは思います。
けれどそれはいつかは思い出話になると思うのです。
その分「未来に楽しいことが待っていると思ってがんばって」って思います。
高齢者にそれは言えません。
未来に・・・というのは考えないようにしているであろう世代の人に、
そんなことは(私は)言えないと思うのです。
新型コロナウイルス。
こんなに大変なことが生きているうちに起こるとは、本当に思っていなかった。
歴史上にしか存在しないものだと思っていたことが起きました。
いつかこのことが「そんなこともあったね。大変な時代だったね」と、
昔話として話ができる時代になればいいなと思います。
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春はいいものです
http://hifumiffy.exblog.jp/30472723/
2021-03-29T13:38:00+09:00
2021-03-29T13:38:26+09:00
2021-03-29T13:38:26+09:00
Hifumiffy
ひとりごと
こんなご時世ではありますが、
新型コロナが落ち着きをみせることなく迎えた2度目の春ではありますが、
それでもやっぱり春はいいものです。
空が明るくなりました。
空気がやわらかく感じるようになりました。
厚手のコートを脱ぐことができ、軽やかな服装で出歩けるようになりました。
ここで気をぬくと、昨年の二の舞になりそうなので、
用心はしなければと思いつつも、
それでも春はウキウキした気分になれます。
嫌なこといっぱいです。
ウイルスも仕事も交友関係も、いいことばかりじゃありません。
けれど、生きていかねばなりません。
どうせ生きていかねばならないのなら、すこしでも明るく楽しく生きたいです。
春はなんだかいろいろなことが前向きに考えられる季節です。
暑すぎず、寒すぎず、いい季節。
今のうちに楽しく過ごしておきましょう♪
下を向くのはやめて、上を向いて、笑顔で過ごして生きましょう。
きっといいことがある。そう信じて生きましょう。
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資格試験、不合格よりも嫌なことがあるなんて・・・
http://hifumiffy.exblog.jp/30467409/
2021-03-24T16:25:00+09:00
2021-03-24T16:25:43+09:00
2021-03-24T16:25:43+09:00
Hifumiffy
ひとりごと
2年間の通信教育?というか、自分で時間をみつけて学習する必要がありました。
お金も結構かかりました。
期限までにe-Learningを受講し終えたりレポート提出やら試験やらを行わねばならず、
本当はもっと時間を取る予定だったのですが、
父が他界したり、
コロナ騒動最中に2ヶ月近くも寝込んでその後も体調不良が続いたり、
思ってもいなかったことがありました。
その上、本来、追い込みとして仕事をセーブするはずの時期に
突然、たまにしか仕事をもらえない会社の仕事をしなければならなくなりました。
これはちょっと辛かったし、その後の言いようも腹が立つことだったので、
やらなければよかったと心底、、、
うらんでいます!
受験後、
あまりにわからなかったしどう考えても受かるはずがない状況だったので、
「来年も受験しなければならなくなりそうです」
と、仕事のセーブを事前に申し出たら、
「あはは、そんなのわかってたよ。1回で受かるはずないじゃない」
などと、人を馬鹿にしたようなことを言うのです。
(馬鹿にしようとして言った様子ではないのでもともと馬鹿にされているってことのようでした)
まぁこの仕事のことはかなり恨みはしていますが、
不合格なのは当たり前すぎて、それほど落ち込んではいないんです。
がんばって不合格というわけではなく、
1度も教科書を開いていないほど勉強していないのですから、
不合格で当然。
というか、受験したこと自体が失礼というものです。
なのですが、、、
同時に受講していた知人は、どうやら合格した様子で、
いつもなら
「偵察でーす」
とか言いながら、いろいろ様子を聞いてくるのに、
今回は何も言ってこない。
受験前から
「ほとんどわからないし、勉強不足だから
今回は、来年のために受けるつもりです」
なんて言ってたけど、
私からみたら結構やっていたと思うのです。
同じ話を聞いたのに、
彼女は「この先生の方が教科書読むよりわかりやすかった」とか、
受験後も「教科書の問題が結構そのまま出てましたね」とか、
ちゃんと勉強していないと言えないようなことを言っていたのです。
えらいなぁ〜と思って見ていたし、
彼女が合格できるといいなぁと思っているのですが、
ご本人からすると、嘘をついたような気がして気まずいのか、私に気を使っているのかわからないけど、
何も言ってこないんです。
それがちょっと気がかりで、気持ちが悪いんです。
気の毒がられるのって嫌なものですね。
不合格で当然と本人は思っているけど、はたから見るとそうではないのでしょうね。
あぁ〜すっきりした不合格でありたかったなぁ〜
来年受けるかどうかは未定。資格が欲しかったと言うより知識が必要だっただけなのです。
ほんのすこしではあるものの、今回の受験のためのレポートやらなんやらのおかげで、
今の仕事に役に立ったことはあるし、今後も知識としては必要なことは多少はわかった(つもり)から。
まぁ、ゆっくり考えまーす
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Instagram
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2021-01-12T00:16:00+09:00
2021-01-15T03:39:58+09:00
2021-01-12T00:16:05+09:00
Hifumiffy
ひとりごと
その後も彼女とは同じ業界ということもあり、
ずっとお付き合いが続いていた。
結構、きついことを言われたので、愚痴を聞いてくれた友人に
「普通にお付き合い出来てるのが不思議。
嫌じゃないの?」
と聞かれたことがあった。
言われたことは心外なことだったので
それは嫌だと思っていたし今もしこりがないと言ったら嘘になる。
けれど、それはそれ。と思っていたし、思うようにしている。
勢いで言われたことではあったけれど、彼女の本心だったのかもしれないけれど、
それはそれ。
あったかい心を持った人だと感じていたので、そんなことで縁を切る気にはなれなかった。
ずっと好きな気持ちはゆらぐことはなかったし、今も好きな人であることに変わりはない。
私が会社を辞め、名古屋に戻ってきてからも、
アメリカでのDeveloperConferenceや、日本でのカンファレンスやユーザー会など、
回数は減ってしまったけれど、それでも会える機会は年に何度かあった。
5年くらい前から、彼女は人目にわかるほど痩せ細ってしまった。
突然の痩せ方で、密かに心配している人も多かった。
私もその一人、とても心配していた。
なんとなく入院したことや手術したようなことがFacebookに書いてあった。
でもそれはなんとなくわかる程度の書き方で、
あまり人に知られたくないという思いが込められているように感じた。
だからあえてそのことは聞かずに、言わずに接していた。
それでもやっぱり心配で、名古屋に帰る前に
「無理しちゃダメですよ〜心配だよ〜」
と言ってしまうことが何度もあった。
今年の年賀状も1月1日に届いていた。
珍しく会社名だけでなく、会社名に続いて
「代表取締役 ○○ ○
社員一同」
と書かれていた。
毎年いただく年賀状は会社名だけだったはず。
今年は珍しいなぁと思った。
仕事始めと思われる1月4日。
彼女の会社から一斉メールが送られてきた。
彼女が2020年12月28日に亡くなったことが書かれていた。
突然すぎて訳がわからなかった。
思わず、彼女の会社に勤めている友人の携帯に電話をかけた。
本当のことだった。
彼女はもういないのだ。
あまりにも突然、私たちの前から去ってしまった。
思い出を語り合うこともできないこの状況の中、
友人も泣きながら話してくれた。
5年前にはガンだということがわかっていたこと。
脳にも転移しており、12月上旬に手術して取り除いたこと。
一旦は退院できたけど、体調が悪くなり入院し、
そのまま帰らぬ人になったこと。
今も声が聞こえるような気がしてしまう。
年上のお姉さんではあったが、
愛くるしい人だった。
人に優しい人だった。
心が清らかな人だった。
過去形にしなければならないのが辛い。
彼女はいろんなことに興味を持ち、
人が集まってみていると、屈託なく
「何、なに〜?
見せて見せて〜」
と人懐っこい笑顔で懐に飛び込んできてくれる人だった。
たくさんの人が彼女を知っていたし、
彼女のことを大切に思っていた。
日本だけでなく、それこそ世界中のFileMakerの開発者が彼女のことを知っていた。
彼女が亡くなり、アメリカの友人が彼女の追悼ページを用意してくれた。
私も誘ってもらい、私の大切な思い出を共有してもらい、
皆さんの大切な思い出を共有させてもらった。
こんなにたくさんの人に愛されていたことに、
改めて驚くほどたくさんの人が彼女のことを惜しんでいることを知った。
あまりにも突然で今もまだ受け入れきれていない。
東京と名古屋という距離もあり、
年に1回会えるかどうかだったので、今年の秋にはまた会えるように思えてしまう。
2020年1月10日ごろ、東京の六本木ヒルズで会ったのが最後となってしまった。
そのとき撮らせてもらった写真が一緒に写っている最後の写真となった。
いろんな人に会わせてくれてありがとう。
優しく接してくれてありがとう。
少しは頼ってくれてありがとう。役に立てていると思わせてもらえて、
少しは恩返しできているように思うんだけどどうなのかなぁ。
彼女が幸せな時間を過ごしていたことが垣間見られる「追悼ページ」の写真や思い出話が
心に染みる。
心に彼女はいてくれる。
そう思って、今は上を向いてがんばるのみ。
彼女のInstagramの優しさにあふれる写真と言の葉が、
彼女の生き様を残してくれた。
今はまだ切ないけれど、それでも彼女に会いたくて、毎日Instagramを開いている。
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父を思う
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2020-11-28T21:05:00+09:00
2020-11-28T21:05:46+09:00
2020-11-28T21:05:46+09:00
Hifumiffy
家族とのこと
「パパさんは雲を見るのが好きだったんだよね」
私はそのことを知らなかった。
姉はその話を父から聞いたと言った。
最近、姉は空の写真をよく撮るのだそうだ。
そうしていたら、雲の形がいろいろあって面白いと思っていることに気づき、
父のことを思ったのだそうだ。
母も
「そうそう。雲を見て『明日は天気が悪くなりそうだから釣りは行けないな』とか言ってたわ」
と言った。
そうだったんだ。雲を見るのが好きだったんだ。
それじゃあ、
父の最後になってしまった部屋のベッドから、
空が見えなかったのはさみしかったろうなぁと思った。
父が手術後入れてもらった部屋では窓際のベッドを割り当てられていた。
転院先も大部屋でいいという父の言葉を尊重したものの、
なんとなく空が見えた方が、太陽の光が見られる方がいいだろうと思っていたので、
希望として窓がある側のベッドにしてあげて欲しいと伝えており、
転院先でも窓際のベッドにしてもらえた。
けれど、老健ではそんなことは聞いてももらえない。
トイレ近く、というよりトイレの真前の部屋の一番トイレに近いベッド。
なんとなく嫌な感じがする場所だった。
空も見えないし空気の流れも悪い。
そんな場所に父は居た。
気落ちしたのも無理はない。
もともと老健には行きたくないと言っていた父。
足元がしっかりしていないこと、
父のための玄関前の階段工事が終わっていなかったことが理由で、
しばらくは家に帰って来られなかったのである。
今になって思えば、
家に帰ってきた方が父は元気になっていたのかもしれないと思う。
多少の無理はあっても、老健以外の場所、
空いてる部屋がある相方のマンションを借りてもよかったのかもしれない。
そうすれば、父の好きな雲が見られる場所で、
好きなテレビを見ながら、
大好きな母と一緒に楽しく過ごすことができたのかもしれない。
楽しい時間であればもっと長く生きてくれたかもしれない。
父の好きなものを知らなかった。
父は私たちのことを思ったより見ていてくれて、
いろんな興味を持たせてくれたのに、私は父のことを知らなかったんだと、
申し訳なく思う。
父は私たちにいろんなものを見せてくれたり連れて行ってくれたりした。
姉は言った。
「興味もなかったのに、突然スターウォーズを観に連れて行ってくれて、
それで私はアメリカに興味を持つようになって留学したいと思って実現した」
そうだったんだ。
姉はあまり父にいい思いを持っていないと言っていたけど、
いなくなってしまった父に感謝しているんだと知った。
自分が最近、空を見て雲を面白いと思ったとき、
ふと父を思ったという姉がすてきに見えた。
父は私たちを育ててくれていた。
一緒にいる時間は少なかったけど、
私たちに人生の糧になることを見つけさせてくれていた。
あらためて父を思った。
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