とりとめのない話

父はまだ入院中です。
こんなに長く入院してたのは初めてのことで、
なるべく普段通りの生活を送るように心がけてはいるものの、
父のいない家はさみしく、なんとなく元気が少なめな我が家です。

ほとんど毎日、父のところに行く母。
「父がさみしいだろうから」と言いつつ、
母もさみしいんだろうなぁと思います。

「長丁場になるだろうから、無理しないようにしないとね」
と言いつつも、ほぼ毎日、病院に顔を出している母。
鬱陶しいと思うこともあるけど、
母の強さと優しさは本物なんだと改めて思ったりしています。

本物って何?っていうと。。。

私も人から見ると比較的優しい人に見えるそうなのですが
私の優しさは自分勝手なものなので、
本当の優しさではないと思うのです。

母の優しさの半分くらいは私にもあるといいな(^^)

父は毎日つまらなさそう。
それに食事が美味しくなくて、食事の時間が苦痛になってきているようです。

病人に美味しい食事ってあんまりないけど、
毎日おかゆ、毎日ヨーグルト、毎日薄味ばかり。
確かにちょっと気の毒です。。。

美味しくないからというだけでもなく、
食欲がほとんどないのかもしれない…
年も年なので、無理して長生きさせて欲しくはないと思っているらしく、
万が一の時の延命措置は不要と言うし、
食事も無理してまで食べたくないのかもしれません。

少しでも長く一緒にいたいし、もう少し頑張って欲しいと思うけど、
辛い思いをしてまで頑張ってって言っていいのかどうなのか。

まさかの手術からの長期入院生活。
いろいろ考えさせられることばかり。

私は家族といる時間より、自分の時間を大切にしてきました。
高校卒業後、進学のために上京し、
そのまま東京で生活をし、なかなか親孝行をしようともせず、
人生の大半を自由気ままに生きてきました。

結婚もせず(できず)、子供も持たず(持てず)、
親に心配かけたままこの年になってしまいました。
せめてもの、本当にせめてもの親孝行は、
なんとか一人でも仕事ができるようになったことをわかってもらい、
生活と仕事の両立ができるようになった今を見てもらうこと。
くらいだと思っているのです。

仕事もしてるけど、父のところにも行けるんだよ!
ということを知って欲しくて、
なるべく父のところに行くようにしています。

父のところに行き、なんてこともない話やくだらないことを話し、
「もっと本を読め」「新聞を読め」
とあきれられながらも父が笑ってくれるとホッとします。

早く帰ってこられるといいな。
早く帰ってきて欲しいな。

思いが伝わるといいなと思います。

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# by Hifumiffy | 2018-10-26 22:44 | Comments(0)

大きな手術

先月上旬、父が突然大きな手術を受けることになりました。

心臓のカテーテル治療だったはずが、検査段階でカテーテルが通らなくなり、
心筋梗塞を起こして治療を中止し、そのままICUに運ばれました。

今までにも何度かカテーテル治療をしていただいていたこともあり、
本人も家族もそれほど心配せずにいたので慌てました。
すぐに言われたのが
「カテーテルはもうできないので、
 開胸手術しかありません」
ということでした。

しばし呆然でした。
何のことかわからない…わかりたくないといったところでしょうか。
頭が真っ白になったままでした。

が、ICUに運ばれた父を見て、事の重大さに気がつきました。

「このままでは死んでしまうんだ」

カテーテル治療をする前から、
担当の先生から「次に詰まったらちょっと厳しいかもしれません」とは言われていましたが、
こんなことになるとは思いもしなかったのでした。

不安なまま3日間ICUで面倒見ていただき、
何とか病棟に戻してもらえることになりました。

その間も先生方には手術の計画を考えていただいており、
少しでも早く手術ができる日程の確保をしてくださいました。

家族とともに説明を受ける日、
心臓外科の先生から
「このままでは100%(死ぬの)です。
 手術もかなり難しいものなので20%の割合でダメなこともありますが、
 100%が20%になると考えてください。
 迷っていられないんです。
 あなたの場合、病院によっては手術を受けてもらえないこともある難しいケースなんですが、
 幸い、この病院は他の病院に比べてあなたと同じようなケースの患者さんが多く、
 手術例もそれなりに多いので、手術できると判断しました。
 絶対ということは言えない。
 けれどかなりの確率で何とかできると考えています。
 このままでは100%なんですから20%で考えましょう。」
と言われました。

正直、父にかける言葉が見つかりませんでした。
怖いだろうに、でも受けなければ死んでしまうのです。
受けるしかないのですから。

「パパさん、大丈夫?怖いよね?受けるしかないって、大丈夫?」
そう声をかけるのが精一杯でした。
父も
「受けるしかないだろう」
というのが精一杯でした。

そして手術日。朝から8時間を超える手術をしていただき、
ほぼ予定通りの箇所をつなぎ、父は命をつないでいただき帰ってきました。
ICUに3日、集中看護室に4日、
それから一般病室に戻してもらえました。

が、やはりなかなかうまくはいかないもので、
眠い日が続いたり、脚の痛みがひどかったり、褥瘡になったり、
すぐに元の生活に戻せるとは思えない状況でした。

ようやく車椅子に座っても血圧が低くなりすぎることも少なくなり、
転院することになりました。
リハビリと透析が中心の入院になるので、
循環器内科や心臓外科がない病院です。

この病院も毎回お世話になっている病院なのですが、
今回は大丈夫かな?
今までよりも年は取っているし、体力がないし、
でもうちに帰ってくるには
・自分でトイレに行けること
・玄関の段差2段と、玄関の外の段差2段を自力で歩けること
が必要条件です。
母と私では父を抱えて降ろすことなどできません。
ましてやトイレに座らせるのも難しいでしょう。

昨日転院したものの、うちに帰ってくるまでには
まだ少し時間がかかりそうです。

父がまた家に帰ってくつろげる日が来ることを信じて、
父も私たちもがんばるしかありません。

たおれないように。。。がんばろう。

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# by Hifumiffy | 2018-10-05 14:13 | 家族とのこと | Comments(0)

お別れの予感

中学三年生の夏過ぎ、我が家にトイプードルのろくがやってきた。

動物が苦手で、小さな猫にも怯える娘を心配した母が、

「ペットを飼おう。犬にしましょう。
 好きな犬種でこの子だと思う子がいたら一緒に見にいきましょう」

といって飼うことになりました。
その頃、祖父が急逝し、祖母がしょんぼりしていたこともあり、
家で一人でいるときにさみしくないようにというのもありました。

トイプードルにしたのは
・大型犬は怖いので小型犬がいいが、口があまり大きくないもの
・抜け毛が少ないもの
この条件に当てはまるのがトイプードルだったのです。

その頃はまだトイプードルブーム前で、
トイプードルがいる店がほとんどありませんでした。

ようやく見つけた店にいたのがろくでした。

人懐っこそうで元気で、第一希望だった白い毛の子犬でした。
耳だけが金髪っぽいいろだったのですが、
「これは大きくなると白くなります」
とお店の女主人に言われ、そうなんだと信じて決めました。
結局ずっと耳の色は金色だったんですけど・・・かわいくなると手放せない。
そんな気持ちになるとわかっててだまされたのかも^^;

ろくは私の弟。かわいくてかわいくて、
毎日一緒に眠りました。
夏は私の枕元に置いたお気に入りのクッションにもたれて、
冬は布団の中にもぐりこんできて、私のお腹にぴったりくっついて。

ずっと一緒に居たかったけど、
進学が東京だったので、高校卒業後はずっと離れ離れになってました。

たまに実家に帰ると、大騒ぎ!
キャンキャン鳴いて跳ねて喜んで、ずっと私の後にくっついてきました。
夜はもちろんずっと私のそばで眠り、
家にいるときはずっとそばにいてくれました。

そんなろくも歳を取り、体も弱くなり、
とうとう入院しなければならないほど具合が悪くなりました。

その頃は社会人だったこともあり、
金曜日の夜に実家に帰って日曜日の夜に東京に戻るということを
2〜3回したころでしょうか。

いつものように、金曜日に帰ってすぐ、
その足で入院先の病院に母と一緒に向かいました。
日曜日は休みなので、金曜日の夜と、土曜日の昼間しか会えないのです。
金曜日、酸素を通して少しでも呼吸が楽になる部屋に入っていたろく。
ぐったりしたまま、目をあけるのがやっとのようでした。

ほんの少しなでるために開けてもらい、
苦しそうなろくをみていることができず、
酸素が少しでも多くろくに届くよう、すぐに扉を閉めてもらいました。

その日はそのまま母の車で二人で帰りました。

翌日の午前、また母に車を出してもらい、
二人でろくに会いにいきました。

苦しそうなろくはやはりぐったりしてて、
先生は
「この休みを越せるかどうか…
 家に連れ帰ってもらってもいいのですが、
 酸素補給ができないので苦しがるかもしれません」
と言いました。

そんなこと言われたら連れて帰るなんて言えないじゃないですか。。。
ここにいた方がろくが楽でいられるならと、
先生にお願いして帰ろうとしたときです。

それまでグッタリしたまま、動くこともできなかったろくが、
「ワンワン、ワンワン、キュンキュン」
と、切ない声で泣き出したのです。

ろくは泣いたんです。

「ひとりにしないで。
 一緒に帰りたい。
 一緒にいたい」

ろくはそう言いたかったんだと思いました。

母も私も涙が止まらなくなるほど悲しくなりました。
ひとりにするのもつらい。
連れて帰るのもろくが辛そうでみていられない。
どちらも辛いけど、ろくは一緒にいたがってる。
帰りたいって言ってる。
二人ともそう聞こえたんです。

ろくのお気に入りのクッションのはいったかごを持ってきていたので、
そこにそっとろくを移動させ、
車に乗せて一緒に帰りました。

車に乗るのが大好きだったろくですが、
途中、なんども辛そうにむせていました。
はぁはぁしてるので、口が乾いてしまい、痛そうでした。
少しでもゆれないよう、車の床にカゴをおき、
ろく、ろく、とずっと声をかけながら帰りました。

いつもの部屋につれてきて、カゴをおくと、
ろくは安心したように少し眠りました。
眠っても息がつらいのでしょう。
すぐに起きてしまい、
はぁはぁと苦しそうな息づかいだけが聞こえました。

夜、眠らないようにしていたのですが、
移動で疲れていた私はうとうとしてしまったようです。
気がついたら母が枕元のろくの横に座り、
そっとなでながら
「大丈夫だよ、大丈夫だよ、一緒にいるよ」
とろくに声をかけていました。

私が起きたことに気づいた母が静かに言いました。

「ろくが逝っちゃう。お別れだよ」

・・・
・・・
・・・

「ろく、がんばったねえ。えらかったねえ」

母は泣いていました。

「さっきろくが震えたようにみえたのは、
 最期の力を振り絞ったときだったんだよ」
と教えてくれました。

ろくは私たちといっしょにくらした自分の家で最期の時を迎えました。
辛かったろうと思いますが、
今でもあのときろくが泣いたのは、
「ひとりにしないで。一緒に帰りたい」
というサインだったんだと思っています。

別れの予感があったんだろうと思います。

毎年、お盆になると、
お別れした人たちのことを思い出します。

今年はろくのことばかり思い出します。
かわいかった。おりこうだった。
私のナイトだったろく。

またあちらで会えるのを楽しみにしています。

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# by Hifumiffy | 2018-08-11 01:05 | ひとりごと | Comments(0)

任せる勇気

今年、名古屋は暑い。暑すぎます。
最高気温を記録したわけではないけど、都市部でここまで暑いのって…。

出張でいろいろ回ってるビジネスマンのつぶやきで、
「名古屋から帰ると東京が涼しく思える」
と書いてるのを見て泣けてくる(暑さですぐ涙も乾きますが)

今は個人事業をしているので、
なんでも一人でやらねばならないのですが、
それでも人と組んで仕事することもあり、
そういう時にいつも思い出すようにしていることがあります。

「人に任せるのは勇気。
 人に任せるということは人を信じるということ」

東京で長く務めた会社では、部門長の職につけていただいたりもしていました。
新しく入ってきた人に仕事を任せることはとても不安で、
いつもどこかで見張ってしまう自分がいました。

その会社では、他の会社に協力していただいたりもしていました。
技術力は私なんかが及ばぬほどの力のある方ではあるものの、
お客様のご要望や、私たちからの依頼がちゃんと伝わるか不安で、
見張るわけではないけれど、
納品いただく度にドキドキしながらチェックしていました。

人に任せるのって難しい。
任せたからって、自分に責任がなくなるわけではないとなおさら。

人に任せてやり直すくらいなら自分でやる。
人に任せるのに細かく指示するくらいなら自分でやる。
その方が早いと思えてしまうし、
実際、最初は自分でやる方が時短になると思います。

けれど、それでは仕事量が増やせない。
仕事が増やせないと売上は上がらず、
売上があがらなければ会社は潤わず、自分に還元されることもない。

自分のスキルが上がればなんとかなるってこともそれほどないと、
やはり人手が必要になるのです。

長い目で見れば、人との協力体制がしっかりできていた方が、
より多くの人がより多くの仕事をこなしてくれるのです。

でもやっぱりこれ、最初は不安で、
みんな言い訳をつけて自分で仕事を抱え込もうとしてしまう。

どうしたら人と協力してくれるようになるのかしら。。。

難しいなあ。

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# by Hifumiffy | 2018-08-09 00:06 | ひとりごと | Comments(0)

帯でつくったバッグ

実は和装が好きなのですが、
半端なく太ってしまって昔作った着物や浴衣は着られません。

新しい着物を作るとしても、
私が着られる着物が作れる反物がほとんどないのです (T . T)

痩せればいいじゃん!

なんですが、そんな簡単に痩せられるわけもなく、
で、
お客様先の女性が教えてくれた
帯で作ったバッグ!

これがとても素敵で、
文庫結びのような蝶々のついた小さめなバッグや、
帯そのものの柄が楽しめる大きめのバッグ、
帯締めの柄がとても素敵な帯で作っていただいたポシェット、
どれも素敵で嬉しくて仕方がありません。
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この和物たち、IT関連の小物入れにもしています。
本当はペンケースだったそうなのですが、
電源ケーブルや充電器を入れるのに使ってます。
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こちらの赤いケースは、
帯を見てて思いついてお願いして作ってもらった
iPadのケース!
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生地がしっかりしてるので、これで安心して持ち運べます(^^)
本当はカバンの中に入れて使おうと思っていたのですが、
あまりに綺麗なのでこのまま持って歩けるようにしてもらえば良かったかなぁ。

他にもバッグインバッグや小物入れなど、
いろんなものに姿を変えて、帯が活躍です。

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うっとりするほど素敵なバッグたち。
愛情込めてひとつひとつ手作りで作ってくださるおびふくさん。

おやさしい人柄も素敵な方に出会えて幸せです(^^)


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# by Hifumiffy | 2018-07-20 22:36 | ひとりごと | Comments(0)
高校で演劇部に在籍していたころの顧問の先生が今年の3月に退職されていました。

学校に遊びに行く約束をしていたのに、結局辞めてしまってからの連絡となってしまい、
学校外・・・居酒屋で先生と会ってきました。

高校生の頃からタメ口という、しつけの悪い生徒だった私。
普段だったら少しは敬語になっているはずなのですが、
どうもこの先生といるとタメ口。。。

先生もとうの昔に諦めたのか、今更だからなのか、
一向に注意されることもなく3時間ほど、
懐かしい、(先生曰く)バカ話をしてきました。

今更だけど、先生にとって学校は職場であって、
私たちにとっての学校とはちょっと違うってきくと、
なんだかなぁ・・・

「職場にはそんなに思い入れはないし、
 職場のために働こうなんて思ったことなんてない!」

なんてきくとますます凹みそうだったのですが、

「お前たちのことは違うぞ。
 生徒たちのために働いとったんやぞ。
 部活の残業だってなぁ、職場のためなんて思ったらやりたくないけど、
 お前たちがやりたいっていうからしぶしぶだけどつきあっとったんやぞ」

とニヤニヤ冗談だか本気だかわからない笑顔で話してくれました。

きっと本当にそうだったんだろうなぁと思います。

先生は女子校らしからぬ「ばんからな雰囲気」の先生でした。
定年退職した今でもばんからな雰囲気はそのまま^^;
とても女子高生に慕われる見た目ではないと思っていたのですが、
なぜかいつも生徒に信頼されていた先生でした。

久しぶりにあった先生。
二人であったのなんて初めてでした。

「たまにはお前とバカ話するのも楽しそうだなぁ」

と言ってあってくださったのですが、

「変わらんなぁ。バカなところはそのまんまやなぁ。
 褒めとるんだぞ」

成績もバレバレですが、性格もバレバレ。
バカなところが変わってないもバレバレでした^^;

「根気よく調べるとかだっ嫌いだろう。
 めんどくさくなるとぽいってすぐやめちゃう。
 ちゃんと調べないかんだろう。」

って、どこかで言われたような・・・

そうでした。短大でお世話になった先生にも「甘い」ところを指摘されたんでした。
卒業公演のアルバムがわりのパンフレットに、
生徒一人一人について書いてくれたのですが、
私にはこの文章が残っていました。

あまえを感じさせる口許を
からかえば、
大きな目を振り向ける。
たしかめて、ためして
虚に実感をあたえ
そのすがたに
情緒をながす。

あまえって?と自分では全く気づいていなかったのですが、
甘えがあったんですね。きっと今も。

先生と言われる人はやっぱりすごいなぁと思いました。

先生、定年退職って言ってたけど、
まだまだ現役でやれそうなのになぁ。

私たちにとっての先生は学校を辞めてもやっぱり先生だから、
まぁいっか!

夏にはまた先生を囲んでの食事会を企画中!
今度はみんなで先生と会う予定です。

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# by Hifumiffy | 2018-06-26 00:31 | ひとりごと | Comments(0)

FileMakerと出会って

気がつけば、、、
人生の半分以上の月日をFileMakerと共に過ごしてきました。

自分で選んだわけではないけれど、
たまたま使うことになったファイルメーカーというソフト。

パソコンなんて触ったこともほとんどなく、
Macintosh(今のMac)なんて見たことも触ったこともなく、
キーボードを見ながら一文字ずつ入力しなければならない。
マウスで縦線を引こうとすると、、、
マウスが机からはみ出して線が引けない^^;

今思うと笑えるほど「わからない、できないこと」ばかりでしたが、
それでもちょっとがんばれば入力欄が増やせたり、
レイアウトが作れたりするファイルメーカーは楽しく使っていました。

まさかそれがここまで使い続けることになるとは思っていませんでしたが、
出会うきっかけを作ってくれた方々に感謝です。
ありがとうございます!私は今も使っているんですよ〜(と伝えたい)

FileMakerを使い続けていくうちに、
たくさんの仲間と出会いました。
関係者の方々と出会いました。

私はこの仕事をして本当によかったと思っています。
ありがたいことに、とても人に恵まれたと思うのです。
もちろん、どんな仕事をしていても、
同じように人に恵まれる環境はあるのでしょうが、
私はこの仕事をしてから特に人に恵まれたなぁと思うことが増えました。

出会いもあれば別れもあり、
新しくFileMakerを始める方もいらっしゃれば、
少し距離を置くことになる方もいらっしゃる。

当然のことなんですが、、、

またお一人、お仕事をお辞めになると、
少しゆっくりされるとのご連絡をいただきました。

そこにいてくださるのが当たり前のように思っていた方が
新しい場所を求め、離れていってしまうのはちょっぴりさみしいです。
また時々でいいからあちらのブログに立ち寄ってくださると嬉しいです。

またお会いできると信じています(^^)

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# by Hifumiffy | 2018-06-01 02:24 | ひとりごと | Comments(0)

TOKIO

被害者の方もいることではありますが、
私は被害者じゃないし、事の真相も成り行きも知らない、
TOKIOファンの一人としての思いを書かせていただきます。

ご不快に思われる方もいらっしゃるかもしれません。
この先は、お読みになるかどうか、ご判断いただきましてからお読みください。



TOKIOが好きです。
どの番組でも全員が揃うと仲良いなぁと思うことが多いグループです。
全員が揃う番組はどれも好きだったのですが、特に、
「ザ!鉄腕!DASH!!」が好きです。

山口達也さんの騒動があったけど、
それでもやっぱり観たいと思っていたので、
4人でも続けてくれるのはありがたいことです。

DASH村やDASH島での大工仕事や海での作業風景は、
どれを観ても山口達也さんがいて当たり前だと思っていました。

編集で姿は見られないようになっていたけど、
あぁ、このとき横にいたなぁ
とか、覚えているシーンもたくさんで、
どれだけ大きな存在だったのかが伝わってくる演出に、
なんとも言えない苦しさが溢れてきました。

それでも笑えるシーンもあって、
国分坂とマツオカーブは何度見ても大笑いです(^^)

どんなときも包み隠さず放送する姿勢は、今回も変わらず、
苦悩する姿も放送したのはブレてない感じがします。

いい番組だと感じていたのは、
企画や演出がいいのはもちろんですが、
出演者がTOKIOだからというのも大きいと思うのです。

山口達也さん、
TOKIOの中でもみんなが相談したり頼ったりする存在だったと
リーダーが言っていましたが、
言葉にしなくてもその関係性は視聴者にも伝わっていたと思います。

ゆっくりでいいから、反省し、自立し、
また戻ってきてくれたらなぁと思います。

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# by Hifumiffy | 2018-05-15 00:37 | ひとりごと | Comments(0)

気がつけば

このブログを始めてから13年なんていう、
とっても長い月日が流れていたのだと気がつきました。

大好きなブログを拝読していたら
そこに12年前に…と書かれてて気づいた次第。

年々時間が経つのが早くなります。
これには根拠もあるそうですが、
そんなことはどうでもよく、本当にあっというまに5月だったという、
1年で考えてもあっという間。

そりゃ13年なんてあっという間ですね^^;

ほとんど更新しないこのブログ、
読んでくださる方もほとんどいないブログですが、
個人的なつながりのある方でなく、
ここで知り合った方、
通りすがりの方が読んでくださるという、
SNSとはちょっと違う立ち位置のブログは貴重な場所。

今後もマイペース、
好き勝手なことばかりですが、
綴っていこうと思います。

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# by Hifumiffy | 2018-05-11 00:16 | ひとりごと | Comments(0)

会社は助けてくれない

仕事は自分を助けてくれることがあるけれど、
会社は守ってなんてくれない。

そんな当たり前のことがわからなかった若かりし日々。
どれだけ会社に尽くしてきたことか。

死ぬ気で働いた毎日。
死んだら楽になると思いながら、家族のことを考えると死ぬこともできず、
ただひたすら働き続けた毎日はなんだったんだろう。

小さな会社だったので、
社長が父ちゃん、
社長と一緒に会社を立ち上げた女性が母ちゃん、
同じ年に入社した社員3人は、年の順に姉ちゃん兄ちゃん弟。
そんな家族のような関係だった。
本当の家族よりも一緒にいる時間が長いこともあり、
10年以上も一緒に働くうちに、取締役でもなんでもないのに、
会社のためにがんばらなくちゃと思うようになっていた。

なんども会社が潰れそうな危機に遭遇した。
それでもなんとか頑張って踏ん張って会社が続いていた。
社員も増えた。
部下も増えた。

両親も年老いてきたし、そろそろ地元に帰ろうと思うと伝えた矢先のことだった。
またも会社の危機がやってきた。

そして私は会社を辞めた。
タイミングよく、地元に帰ると言った私はすぐに辞めることを要求された。
私の都合はお構いなし。

退職金なんて制度もない会社。
それでもこんなに長く、しかもこんなに自分を犠牲にしてまで尽くしてきた私には、
きっと少しくらいは誠意を見せてくれるのではと期待した。
期待なんて持つだけ無駄だった。
退職金はないと言われて終わり。

さすがに許せなかった。

入社して1〜3年で辞めて行った人でも、
儲かっている時なら餞別程度は渡していたのにと思うと悔しくて泣けてきた。

悔しいので、社長のポケットマネーで出そうという気もないのかと詰め寄って、
どこからか知らないが当時の給料の2ヶ月分の金額を約束させた。

そう、「させた」のだ。
これで私の人生の大半を占めた会社との関係は一気にこじれた。
その時はそれも含めて悔しかった。
あんなこと要求しなきゃよかったと思ったこともないわけではない。

でも今はそれでよかったと思う。
会社は私を守ってくれなかった。
会社の存続のために人(私)を見捨てたのだ。当たり前のことだと思う。

ならば、私も自分の存続のために会社を見捨ててもいいのだ。
もっと早くそうすればよかった。
こんなに体を壊し、心を病む、
私を心底大切に思ってくれる家族を傷つけるようなことを言ってしまう前に、
もっと早く見捨ててしまえばよかったのだ。

会社を辞めた日、心がすーっと楽になった。

悲しいことがあった時、辛いことがあった時、
仕事に没頭することで悲しみや辛いことから逃れられたこともあった。
「仕事に救われる」ことはあった。

会社も状況がいいときは救いの手を差し伸べてくれることはある。
けれど、
会社は最後の最後には会社を守る。
それは当たり前のこと。

そこを忘れてしまうと痛い思いをする。

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# by Hifumiffy | 2018-03-23 01:06 | ひとりごと | Comments(0)

2007年桜とともに…


by Hifumiffy