2019年 08月 06日
戦争の話を聞いた記憶
8月6日。
この日になると、毎年思い出すことがあります。
小学4年生の時、姉のクラスメイトの家によくお邪魔していました。
クラスメイトのお母様は、母よりも少し年上の方で、
母も漬物の漬け方を教えてもらったり、家族ぐるみのおつきあいでした。
ある夏の日、母と姉と一緒におうちにお邪魔していました。
その日はなぜだか覚えていないのですが、
いつも明るいおばさんが、ぽつり、ぽつりと昔の話をし始めました。
最初は「へぇ〜おばちゃん、看護婦さんだったんだぁ」とか、
「クレってどこにあるの?」「どんな字書くの?」と、
いつも通り、思った疑問を口にしては話の腰を折るようなことをしていたのですが、
そのうち、どんどん恐ろしい光景が目に浮かぶような話となり、
子供ながらにこれは黙って聞く話なんだと思いました。
おばさんが、呉に疎開していたのか住んでいたのか、よく覚えていないのですが、
ぴかどんの後、看護婦の仕事をするため、広島に向かったそうです。
向かっていると、
広島方面から人とは思えない姿をした人たちが、
ずるずると衣類を引きずりながら歩いてきた。
よくみると引きずっていたのは服ではなくて、
自分たちの皮膚だったと話してくれました。
川には亡くなった人が浮かんでいて、
水面が見えないほどだったと涙ながらに話してくれました。
あまりの凄惨さに息苦しくなり、
何も言うことができなくなりました。
今思うと、その時が最初で最後(最後かどうかわからないけど)の
戦争を体験した人のお話を直接聞く機会でした。
このお話を聞いた数年後、
今は考えられないことでしょうが、
学校で「はだしのゲン」の映画を観ました。
おばさんに聞いた話がそのまま映像になっているようで、
胸が痛くなりました。
私の母は生まれてはいたものの、幼すぎて
戦争が怖いと思った記憶はないそうです。
焼ける町を乳母車に乗せられて逃げ回った記憶はあるそうですが、
それが戦争と結びつくほどの記憶はないそうです。
父は、記憶のある年齢ではあったのですが、
疎開先での暮らしについてはよく聞かされていたのですが、
戦争で恐ろしい目にあったという話は聞いたことがありません。
話して聞かせておきたいこともあったかもしれないのですが、
幼い娘たちにそんな話はできず、
話を聞かせても良い年頃には親元を離れていたので
話すタイミングがなかったのかもしれません。
私は、戦争を体験した人の話を直接聞き、
2度とこんなことが起きないことを心底願う人の思いを聞き、
自分が過ちを起こさないようにしたいと願うようになりました。
体験した人の言葉は心に重くずしんと響きました。
戦争の話は聞いて気持ちのいいものではありません。
だけど、知っておかなくてはならないこともあると思います。
戦争を起こしたのはなぜか、誰が始めたのか、どうやって終戦を迎えたのか、
結果、誰が得をしたというのかなど、
日本人としてつらい現実も含め、知っておかねばならないと思います。
毎年、この時期になると、
原爆の話から2度と戦争が起こらないようにという話が出てきます。
年に一度、この時期だけでもいい。
戦争が起こらないように願う人の思いが、世界中に届くといいなと思います。
by Hifumiffy
| 2019-08-06 23:44
| ひとりごと