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カテゴリ:家族とのこと( 40 )

体調不良

今もまだ、父のいない毎日に寂しさが募ります。

母と二人の生活は、なんとなく気遣いあいすぎて、
気がつくと重苦しい時があります。

父が入院した昨年9月以降、日常といえば日常なのですが、
会いにいく場所がなくなってしまったこと、
帰ってくる日が永遠にこないことなど、
父がいなくなったさみしさを口にすることはお互いに避けており、
それがあまりに不自然で、心が折れそうになるのです。

母は私よりもずっとずっと悲しい思いを抱え込んでいます。
それでも毎日、がんばって生きています。
少しずつ体のあちこちに痛みが出てきたりしているようですが、
まめに病院に行って、体のメンテナンスをしてもらいながら、
元気に生きようと頑張ってくれています。

それなのに、私ときたら、情けないものです。

4月下旬、連休前からみぞおちのあたりが重苦しく、
食事をすることもつらいことがあり、
内科の先生に診てもらいました。

胃薬を変えてもらったり、漢方薬を増やしてもらったり、
少し改善したものの、起きているのが辛い日もあり、
どうにも仕事がすすみません。

もともと心配性ということもあり、
ちょっとしたことが心臓の病気じゃないか、脳の病気じゃないかと不安になってしまい、
あちらこちらの検査をしてもらってもまだ心配でしかたありません。

年齢的にも更年期障害が出てきてもおかしくないお年頃。

ですが、更年期障害の症状は思い病気が隠れている可能性もあるそうで、
いろんな病気の可能性を否定することも必要です。

胸のX線写真、胃カメラ、CT、心電図、大腸がん検査、
すべて大きな異常はなく、みぞおちあたりから上の胸のあたりの痛みの原因はわかりません。

あと、考えられるのは乳腺の詰まりや乳がんなど、
婦人科系の検査が必要なものくらいです。

辛い気持ちを抱えているからか、
とにもかくにも体のあちこちが痛むのです。
ずっとではないのが救いですが、いつ何時、辛い症状が出てしまうかと不安になってしまい、
どこにいくのも億劫で、友達と約束するのも不安です。
守れない約束になりそうで。。。

お年頃もあってのことでしょうが、体の不調が続いています。
こんなことで母に心配かけたくないのに、
こんな状態では心配かけまくりです。。。

by Hifumiffy | 2019-07-05 01:30 | 家族とのこと | Comments(0)

心の整理がつかぬままに

この記事は2019年2月8日に書きました。
父が亡くなり、1週間ほど経った頃でした。
公開する内容でもないと思えることでもあり、ずっと非公開にしていました。

まだまだ寂しさは募るばかりで辛いのですが、
同じような思いをされている方もいらっしゃるかもしれませんし、
心穏やかになるためには
人に話すことも必要なのかもしれないと思うようになってきたこともあり、
公開することにしました。

お話ししたかった方がブログを閉鎖されたご様子で、
もっと早く公開しておけば、
いろいろお話できたのかもしれないという思いもありました。

今更ながらですが、公開させていただきますが、
楽しいお話ではありません。
悲しい思いをされる方もいらっしゃるかもしれません。
どうぞ、ご自身のお気持ちで読むかどうかご判断ください。

ブログを閉鎖された方が来てくださる可能性もありますので
コメント不可にはしておりませんが、
このような内容の記事を掲載したことに対する批判など、
どうかご容赦くださいますようお願いいたします。

2019年5月15日 Hifumiffy




2019年2月1日の夜、父が亡くなりました。
享年83歳、数えで85歳でした。

私は2009年10月に名古屋に拠点を移すことを目的に退職し、
その後、東京の別の会社に就職し、
1年近く、週末だけ自宅に帰る生活を送りましたが、
2011年5月に個人事業を立ち上げ、名古屋で生活するようになりました。
少しでも長く、家族とともに暮らしたいと思ったからでした。

父は長い間、糖尿病を患い、失明の危機をはじめ、たくさんの病気に見舞われました。
10年くらい前には人工透析も始まり、
週に3回、朝早くに家を出て14時近くに帰ってくる生活でした。
一日置きに朝7時半に迎えに来てくれるマイクロバスに乗るため、
透析の朝は5時に起き、
一人でお茶漬けや母が前日の夜に用意してくれたサンドイッチなどを食べ、
どんな天気、気候でも、必ず7時半には家の前に母と一緒に出て車を待っていました。
大変だったと思うのですが、文句も愚痴も一言も言わず、
寒くても暑くても何も言わずに車を待っていました。

透析が始まってからもいろいろあって、脳内出血やら壊死した足の小指の切断など、
たくさんの心配を抱えながら一緒に暮らしていました。

父はそれほど口数の多い人ではありませんでしたが、
昔ながらの男尊女卑の発言も多々あるし、
人を小馬鹿にすることもよく言うし(私には)、
ほんと「小憎たらしいじいさん!」でした。
やめてと言ってるのに氷をボリボリ噛み砕くので、
「ボリボリじじい!」とののしっても知らん顔。
自分勝手なところもたくさんたくさんある父でした。

けれど父はやさしい人でした。
結婚せずに長く付き合う私の彼のことを家族同然に扱ってくれ、
彼のご両親の葬儀にも、不自由な体でありながら参列しようと一緒に行ってくれました。

父と私の彼は、よく話をしていました。
父の話はいつも小難しく、昔の話が多く、
歴史に興味なし、難しい話は苦手な娘たちはあまり話を聞いてあげませんでした。
父は息子が欲しかったのですが残念ながら娘二人でしたので、
なかなか自分の話を聞いてくれる相手がおらず、寂しい思いをしていたのかもしれません。

彼はいろんなことに興味を持つ人で、父の話を聞くのが楽しいと言っていました。
父の話を理解し、いいタイミングで相槌が打てるので、
父も彼に話をするのが楽しかったようです。



昨年の9月5日、いつものカテーテル治療のつもりで行った病院での治療がうまくいかず、
ICUに病室を移され、そこから1週間も経たないうちに
心臓の冠動脈バイパス手術をしてもらうことになりました。

父もある程度は覚悟していたかもしれないのですが、
私は9月のカテーテル治療はできない可能性もあると思いながら病院に行きました。
いざ「カテーテルが通りません」と言われ、その先のことがようやく現実となってきました。

そこからは心臓外科が担当になり、先生から
「このままでは100%死んでしまうのです。
 手術すれば80%生きられる可能性があるんです。
 0が80になるんです。受けるしかないんです。
 お父さんの場合、年齢や血管の状態から手術できないケースもあるのですが
 幸い、この病院はお父さんのような方の手術をすることが多く、
 私もお父さんの手術はできると判断しました。
 絶対大丈夫とは言えない。けれどこのままでは死んでしまうのです」
と説明されました。
その時の重い空気は忘れられません。
父の顔を見ることができず、「パパさん大丈夫?」など、陳腐なことをしか言えませんでした。

それでも父は手術を選んでくれ、その後ずっと病院での生活になってしまったけれど、
ほぼ毎日、母が通い、
数日おきに私が通い、
受験生を抱える姉もなるべく父の元に通っていました。

家にいる時よりもたくさん父と話をしました。
私が行くときは、私がくだらない話をすることがほとんどだけど、
父の昔話を聞いたり、父の考えを聞いたりしていると、
「あぁ、私はこの父の子供でうれしいなあ」
と思いました。

昨年末に、老健と呼ばれる老人保健施設に移りました。
父はとても気落ちしていました。
父方の祖母が老健に長く入り、最期を迎えたのが老健だったからかもしれません。

私たちも父にそんな思いをさせたくはなかったのですが、
家に帰るためにはどうしても階段の上り下りができる必要があったのです。
リハビリを続けられ、透析も連れて行ってもらえるところに入れてもらうしかなかったのです。

その間に、父が帰って来て困らないよう、
トイレの便器を高さの高いものに変えたり、
家の前の階段の段差を低くする工事をしてもらうことにしました。

年末、31日の夕方、父を迎えに行き、
毎年のように家族全員で紅白を見ながらしゃぶしゃぶを食べ、大晦日を過ごしました。
1日は家族全員でおせちを食べ、
いつも通り、父と母は家にいて、私たちは氏神様にお参りしながら遊びに出かけました。
夕飯はまた家族全員でカニすき。
エビカニがそれほど好きではない父はほどほどに食べていましたが、
それでも楽しい時間を過ごせたのではないかと思います。
2日はいつもは姉一家は朝早くに旦那さんの実家に行ってしまうのですが、
今年はたまたま都合が悪く、2日も一緒にすごせました。
何をするでもなく、家にみんないて、ゴロゴロしてたり何か食べてたり、
父にとっては家族と過ごす最後の時間はいつも通りの我が家だったような気がします。
この日は父は老健に戻らねばならず、門限の都合で16時には家を出ました。
これが父が家にいられた最後の時間となりました。

トイレは昨年のうちに直してもらえたので、
父は確かめるように2回くらいはトイレに行ったようです。
喜んでくれたかなぁ。

階段は年明け17日から工事開始となっていました。
工事をしてもらってみたら高さがまちまちで、これはダメ!とやり直しとなり、
本来2週間で終えるはずの工事が3週間かかることになりました。

老健に入ってから、透析の病院以外の病院に連れて行くのは家族の仕事になりました。
その際、少し時間がある時、
階段工事の最中の家の前に父を連れて来てあげたのが、
生前、父が自宅を見た最後となりました。
業者さんの車が止まっていたので、
家があまり見えなかったかもしれないのが心残りです。

父はずっとがんばってくれていましたが、
ふとした時にこんなことを言いました。

「3月まではもたんぞ。
 今月くらいはなんとかがんばれるかもしれんが」

お正月、みんなの前で
「今年は死にません。もし途中で死んじゃったらごめんなさい」
って言ってたのに。

あれは後半のことを伝えたかったからなの?
今でも真意はわかりませんが、
老健で私に言った
「今月くらいはなんとかがんばれるかも」
という言葉通り、父は2月1日に逝ってしまいました。

なんとなく嫌な感じがしたので、
1月31日からの出張を2月1日からにし、
1日の朝、父の様子を見てから行くことにしました。

朝から血圧が低く、寝ているという父。
苦しそうに唸ったりしながら目を開けることなく寝ていました。
呼んでも返事がなく、目を開けてくれません。
今までもたまにそんなことはありましたが、
今日は少し様子が違うような・・・
手を握ったら胸が痛いのか、私の手をぎゅーっと力強く握りしめて来ました。
こんなことはあまりなかったので少し驚きましたが、
また午後になったら起きるかな?
と思うことにして父の元を離れ、北海道に向かいました。

その後、母と電話でやりとりし、
なんとなく様子がおかしいような気がしましたが、すでに旭川から北見に移動中。
すぐには帰れません。

夜、20時55分に電話をした時、母が取り乱しかけていました。
おそらく帰り際の父の様子がよくなかったんだと思いました。
その後、私は夕食を食べに外出しました。

22時32分、母から父危篤の電話がありました。
彼に電話で伝え、老健に行ってもらいました。
そこから私は名古屋に帰るための手配を始めました。
その日のうちに帰ることはできませんが、一刻も早く帰れるよう、
仲間が一生懸命調べ、動き、手配してくれました。
北見から札幌への深夜バスを待つことになりました。

23時42分、姉からの電話がなりました。絶望しかありませんでした。
父が亡くなったことの連絡と、解剖するかどうかの確認でした。

そこからは泣かないように泣かないようにと思いながら、
名古屋まで移動しました。

家に着くと、こらえきれず大声で泣きました。
父の死に目に立ち会えなかったひどい娘です。
父の様子がおかしくなってきたことに気づいていたし、
嫌な予感もありました。
医学を勉強していないなりに、父の最期が近いことを感じていました。
それでも自分のことを優先し出かけてしまい、出先で父の死を知るなんて。

なんのために帰って来たのか、謝っても謝りたくても父はいません。
後悔しかないのです。
精一杯やってきたとは思えないのです。
最期に父のそばにいないなんて、親不孝すぎるのです。

父の死に顔は安らかでした。
苦しかったと思うけど、その時はもう安らかな顔になっていました。
前の日に握ってくれた手も、熱があった額も、ひんやり冷たく、
さすってあげても暖かくなることはありませんでした。

父に会いたいです。父と話しがしたいです。
しばらくはかなわないけど、
いつか私も父と同じところに行くときになったら、
また父の子供にしてください。
言い合いながらも仲良し親子でいたいのです。

長い間ありがとうね。パパさん、大好きだよ!

by Hifumiffy | 2019-02-08 13:41 | 家族とのこと | Comments(0)
あけましておめでとうございます。
年が明けたと思ったら、もう8日でした(^^)

どなたかのTwitterで、
家族で集まると、男は働かず飲んで話していれば良いような雰囲気になり、
女ばかりが働きまくることになるから実家に帰ることを拒否したいというような話がでていました。

うちは父以外は母と娘二人、
家族みんなで集まると、やはりいつも3人だけが働いているようで
どんどん腹が立ってきます。

姉の子供はお兄ちゃんと妹。
中学3年生のお兄ちゃんはなぜかよく働く。
中学1年生の妹は、ちゃっかりお父さんとべったりして手伝おうとしない。

かわいい姪っ子だが、この時ばかりは小憎たらしく思えてきます。

毎年30日の夜から家に泊まってくれるのだが、
1日の夜には背中の痛みもピークに達し、立っているのも座っているのも辛くなる。
年のせいとは言わせない!
毎回、洗い物を担当する私は、背中がバリバリにいたくなってしまうのです。

今年は、背中は痛いし、部屋が暑くてなんとも我慢できないくらいになり、
途中で部屋を抜け出して、一人自分の部屋で涼んでいたりと変な感じ。

と思ったら、4日の仕事始めはなんとか無事動けたのですが、
5日には発熱。しっかり風邪をひきました。

あぁあ。年明け早々これです。
最初の土日は自分のシステムの改良をもくろんでいたのに、、、

毎年、お正月過ぎには必ず風邪をひきます。
母は今年は風邪は引かずに蕁麻疹がでまくりました。

お正月、楽しみなんだけど、そろそろ苦痛の方が大きくなって来ました。
来年も楽しみにできるといいんだけど、どうかなあ。

by Hifumiffy | 2019-01-08 20:31 | 家族とのこと | Comments(0)

2018年に思うこと

2018年は我が家もいろいろ大変でした。

9月5日に一泊二日でカテーテル治療をしてもらって帰ってくるはずの父は
今も自宅には帰ってこられません。

カテーテルが通らず心筋梗塞を起こしICUに運ばれ、
「このままでは100%死にます」と言われ、
「できるかぎり早く手術室を確保しますので、冠動脈バイパス手術をしましょう」
と言われ、胸を開いての大手術をすることになってしまいました。

数日後に手術をしてもらい、
ありがたいことに、手術は無事終わったのですが、
その後、リハビリを続けているものの、
歩くことも一人でトイレに行くこともできなくなりました。

週に3回透析に行く父は、どうしても家の出入りをする必要があり、
玄関前のわずか2段の階段の上り下りができないので
帰ってきてもらっては困るのです。

車椅子での上げ下ろしも考えましたが、
「女性の力ではかなりの負担になるので危険です」と言われ却下。
毎日のトイレの世話なども考えると、私が仕事を辞めて手伝うしかなくなります。
それでもいいといえばいいのですが、
父と母が私のことを心配してしまい、これまたストレスが心配で却下。

あれから間も無く4ヶ月。
父はだいぶ立ち上がれるようになってはきたのですが、やはり階段は難しく、
段差がもう少し小さければなんとかなりそうとのことで、
階段を作り直すことにしました。
1月後半から工事の予定。
これで父が階段の上り下りが少しの介助でできるようになってくれることを
願うのみです。

今回、父のこともですが、母のこともいろいろ考えることが増えました。
見た目は若く見られることが多い母なのですが、やはり歳は歳。
ふとした時に足元がふらついていたり、
めまいを起こして倒れそうになっていたり、
「あぁ、母も歳をとってるんだなぁ」と思いました。

父がいないので、今までのように家をあけることはあまりできません。
一人だといろいろ考えてしまうだろうし、さみしいだろうし、
私が帰ると堰を切ったように喋り続ける母をみていると泣きそうになります。

父の元に毎日のように通う母の体も心配ですが、
父がいなくて寂しい毎日をすごしている母の心も心配です。

何もできない自分がなさけないけれど、
けれどいつも通りでいる方がいいような気がしているのです。
少し?わがままで自分勝手な私がいつもの私。
母もあきれながら、面倒だと言いながら、
いつも通り私と言い合いをしながら少しは気が紛れてくれるといいなぁと思うのです。

年末、31日の夕方、父が一時帰宅できそうです。
我が家は毎年31日の夜からごちそうが始まります。
1日もみんな揃っておせちを食べ、夜のごちそうもみんな揃って食べられる。
2日には姉一家はあちらの実家に行ってしまうけど、
父は2日の夕方までは家に居られる予定。

よかった。
本当によかった。
このまま何事もなく父が帰ってこられることを切に切に願っているのです。

by Hifumiffy | 2018-12-27 03:22 | 家族とのこと | Comments(0)

大きな手術

先月上旬、父が突然大きな手術を受けることになりました。

心臓のカテーテル治療だったはずが、検査段階でカテーテルが通らなくなり、
心筋梗塞を起こして治療を中止し、そのままICUに運ばれました。

今までにも何度かカテーテル治療をしていただいていたこともあり、
本人も家族もそれほど心配せずにいたので慌てました。
すぐに言われたのが
「カテーテルはもうできないので、
 開胸手術しかありません」
ということでした。

しばし呆然でした。
何のことかわからない…わかりたくないといったところでしょうか。
頭が真っ白になったままでした。

が、ICUに運ばれた父を見て、事の重大さに気がつきました。

「このままでは死んでしまうんだ」

カテーテル治療をする前から、
担当の先生から「次に詰まったらちょっと厳しいかもしれません」とは言われていましたが、
こんなことになるとは思いもしなかったのでした。

不安なまま3日間ICUで面倒見ていただき、
何とか病棟に戻してもらえることになりました。

その間も先生方には手術の計画を考えていただいており、
少しでも早く手術ができる日程の確保をしてくださいました。

家族とともに説明を受ける日、
心臓外科の先生から
「このままでは100%(死ぬの)です。
 手術もかなり難しいものなので20%の割合でダメなこともありますが、
 100%が20%になると考えてください。
 迷っていられないんです。
 あなたの場合、病院によっては手術を受けてもらえないこともある難しいケースなんですが、
 幸い、この病院は他の病院に比べてあなたと同じようなケースの患者さんが多く、
 手術例もそれなりに多いので、手術できると判断しました。
 絶対ということは言えない。
 けれどかなりの確率で何とかできると考えています。
 このままでは100%なんですから20%で考えましょう。」
と言われました。

正直、父にかける言葉が見つかりませんでした。
怖いだろうに、でも受けなければ死んでしまうのです。
受けるしかないのですから。

「パパさん、大丈夫?怖いよね?受けるしかないって、大丈夫?」
そう声をかけるのが精一杯でした。
父も
「受けるしかないだろう」
というのが精一杯でした。

そして手術日。朝から8時間を超える手術をしていただき、
ほぼ予定通りの箇所をつなぎ、父は命をつないでいただき帰ってきました。
ICUに3日、集中看護室に4日、
それから一般病室に戻してもらえました。

が、やはりなかなかうまくはいかないもので、
眠い日が続いたり、脚の痛みがひどかったり、褥瘡になったり、
すぐに元の生活に戻せるとは思えない状況でした。

ようやく車椅子に座っても血圧が低くなりすぎることも少なくなり、
転院することになりました。
リハビリと透析が中心の入院になるので、
循環器内科や心臓外科がない病院です。

この病院も毎回お世話になっている病院なのですが、
今回は大丈夫かな?
今までよりも年は取っているし、体力がないし、
でもうちに帰ってくるには
・自分でトイレに行けること
・玄関の段差2段と、玄関の外の段差2段を自力で歩けること
が必要条件です。
母と私では父を抱えて降ろすことなどできません。
ましてやトイレに座らせるのも難しいでしょう。

昨日転院したものの、うちに帰ってくるまでには
まだ少し時間がかかりそうです。

父がまた家に帰ってくつろげる日が来ることを信じて、
父も私たちもがんばるしかありません。

たおれないように。。。がんばろう。

by Hifumiffy | 2018-10-05 14:13 | 家族とのこと | Comments(0)

母のブログ

だいぶ前になりましたが、母にブログがかけるよう用意してあげました。
しばらくは楽しそうに書いていましたが、すっかり放置(>_<)

ブログ、放置されているのに閉じられる様子もなく、
おそらく私だけが年に1回くらいのぞいているんだと思います。

母のブログ、誤字脱字が多いのですが、
読んでいると母のおおらかさ、優しさが感じられ、
気づくとウルウルしてしまうのです。

母にはかなわない。

いつも思います。
母の強さ、大きさは家族一です。

父も私もかなわないと思うのです。

by Hifumiffy | 2017-10-11 21:23 | 家族とのこと | Comments(0)
実家に戻って6年ちょっと。
自分の衰えも感じることも増えました。

透析に通う父だけでなく、
母も少しずつ老いてきたと思うことが増えました。

ボケているわけではないけれど、
「いろんなことを忘れていくんだなあ」
と話をしていて思います。

「昔、よく生たらこを煮てくれたよね」
というと、
「そんなことしたことない!絶対にない!」
とまるで私が間違ったことを言っているような反応( -_-)

「私の自転車のカバーは、
 名古屋に戻ってきてからママが買ってくれたんだよ」
というと、
「はぁ?そんなの買った覚えない!
 あんたが自分で買ったんじゃないの?私はそんなことしない」
とこれまた私が間違っていること前提の返し(-_-メ)

忘れてしまうのはいいんだけど、
なんでそんなに私が間違ってること前提で、
「絶対にちがーう!ぜーったいにちーがーうー!」
ってな反応になってしまうのか。。。

仕方ないこととはわかっていても、
毎日これがなんどもあって、
毎回私が間違ってると言われ続けていると、
がまんできなくなってしまうのです。

あぁ〜あ。
今日もまた大げんか。
申し訳ないと思うんだけど、
いくらなんでもこう毎日、毎回だと私もつらい。

あぁ〜あ。なんだかなぁ。な1日でした。

by Hifumiffy | 2017-07-28 20:56 | 家族とのこと | Comments(0)

父の照れ笑い

うちの父は食べ物をよくこぼす。
手に力がなくなって…というのではなく…

食事をする姿勢が悪いから!

というあまりにも情けない理由によりこぼす( -_-)

よって、食事中には母と私に
「ちゃんと椅子に深く座って食べなさいよ」
だの
「ほら、手にもって食べてよ」
だの
「もっと机の上でやりなよ」
と言われることも多い。

まぁこうるさいとは思うけれど、
こぼしたものを拾うのは母か私…掃除機かけるのも母か私…
そりゃ言いますよ。こちらもそうそう拾いたくないし…

本日は鰹節を大袋から取り出そうと、
反っくり返った姿勢でお腹の上でゴソゴソ…

当然母と私に
「ちょっと、そんなとこでやったらこぼすでしょう!」
「ちゃんと座りなよ」
と言われ、一旦無視(-_-メ)

しつこい私に
「こぼすって言ってるでしょう!ちゃんと聞きなよ!!!!!」
と言われ、
「うるさい!」
ムッとして答え…鰹節を取り出し…

案の定、
お腹の上に鰹節がヒラリ舞い落ち…
時が止まった…( -_-)

一瞬の間のあと、
母に
「あぁあ、だから言ってるでしょう」
私に
「ヘタクソ」
とほぼ同時に言われた父。

言い返さないんだ…無視か?と見ると
「ふぇっふぇっふぇっ…」
笑ってる(・・;)

さすがにばつが悪かったらしく、
笑ってる…

まったく…子供じゃないんだから言うこと聞けよ…と思うのもあるが、
なんだかほのぼのとした夕食だったような気がする(~_~;)
by Hifumiffy | 2015-09-28 01:43 | 家族とのこと | Comments(0)

両親の金婚式

2015年4月11日、両親の金婚式だった。

3年前、体調が芳しくなかった父は、親戚を招いて気の早い金婚式のお祝いの会を開いた。
本人の弱気などなんのその…無事「本当の」金婚式の日を迎えてくれた。
さすがに2回もお祝いの会ってのはちょっと…ということで、
父が企画してくれた身内だけの一泊旅行。
両親と姉一家と姉の旦那さんのご両親と私と私の彼の10人で、
50年前、両親が新婚旅行で行ったというホテルに行った。

今思うとなんでこんなに近場に新婚旅行?というくらい近い場所だったけど、
今の父の体力を考えると、ちょうどいい距離の旅行。

出かける前にみんなでプレゼントを渡した。
甥っ子姪っ子に作ってもらった手作りのちぎり絵と折り紙、
姉からのカードと結婚した日の地元の新聞の一面と二面、
私からはここ数年の両親の写真の寄せ集め…
喜んでくれたみたいでよかった。

甥っ子姪っ子が楽しめるようにと遊園地で過ごす時間をたくさん用意し、
歩くのがつらいはずの父が一生懸命歩いていた。
みんなに迷惑をかけては…という場所では、嫌いな車いすにも乗ってくれた。

嫌いなことを我慢してまでも
みんなが楽しめるようしてくれる父の優しさがまぶしかった。
この日のためにがんばってた父の姿を見ていただけに、
涙が出そうになった。
おかげで本当に楽しい旅行だった。
いつも父の世話に忙しい母も楽しそうに見えたけどどうだったんだろう。

また新しいイベントを企画してくれるとうれしい。

よくけんかする両親だけど、けんかするほど仲がいいとは正しく…
元気でがんばっていてくれる両親に感謝しつつ、
来年もまたその次の年もみんなでお祝いができることを願っている。
by Hifumiffy | 2015-04-14 01:37 | 家族とのこと | Comments(2)

秋の夕暮れに思ったこと

生まれてから人はずっと年を取り続けている。
今、私もどんどん年を取っている。

小さいうちは小さいなりに、目をみはるほど大きくなるのが早く感じ、
老いてくると、日々、老いを感じることが増えてくるように思う。

人から見たら、私の年の取り方も早いと思うのかもしれないが、
なぜか自分のこととなるとそんなに感じない…。

最近、父の老いを感じることが増えている。
夕飯を食べながら晩酌するのが楽しみな父(本当は飲んではいけないけれど)。

一杯をちびちび飲みはじめたと思ったら…、
テレビ見てたと思ったら…、
箸が止まって、気づくとうたた寝…

起きていられる時間が短くなるほど弱ってきたのかと思うと、せつない。
首が「ガクン」となると危ないので、ハラハラしながら見ているのが辛い。
「危ないよ」と声をかけると「うるさい!起きてる」と言い返されるのが腹立たしい。

いっしょにいると苦しくなるので、一人、部屋に戻ってしまう私。
戻っても切なくなるのだし、父に対して腹立たしく思える今が幸せなんだとわかってるけど…

年を取る父母の姿をみるのはとても辛い。
頼りにしていた背中がどんどん小さくみえるのが辛い。

結局一度も結婚せず、今や一緒に暮らしている私が
「いつまでもかわいい娘がいて幸せでしょ」と言うと、
「いいかげん親の義務から開放しろ」と言い返されるが、
その顔が笑っているのがうれしい。

ふと思い出した。

「○○(甥っ子の名前)の学生服姿は見られないかなぁ」と言った父のこと。
「あと何回桜をみることができるかなぁ」とつぶやいた母のこと。

年を取るのは辛いことなんじゃないかと思った。

もっと一緒にいたくてもいられないかもしれないと思いながら生きるのも、
もっと見たいことがあるのにみられないかもしれないと思いながら生きるのも、
何年も未来のことが話題になっても自分には関係ない…と思いながら聞いているのも、
どれも辛いんじゃないかと思う。

誰でもいつかは生きることを終えなければならない。
事故で突然…病気で突然…ということだってある。
けれどゆっくり確実にその日が訪れるのを待つのも辛い。

そんなことが頭に浮かんだ秋の夕暮れ。
by Hifumiffy | 2014-11-20 01:15 | 家族とのこと | Comments(0)

2007年桜とともに…


by Hifumiffy