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お別れの予感

中学三年生の夏過ぎ、我が家にトイプードルのろくがやってきた。

動物が苦手で、小さな猫にも怯える娘を心配した母が、

「ペットを飼おう。犬にしましょう。
 好きな犬種でこの子だと思う子がいたら一緒に見にいきましょう」

といって飼うことになりました。
その頃、祖父が急逝し、祖母がしょんぼりしていたこともあり、
家で一人でいるときにさみしくないようにというのもありました。

トイプードルにしたのは
・大型犬は怖いので小型犬がいいが、口があまり大きくないもの
・抜け毛が少ないもの
この条件に当てはまるのがトイプードルだったのです。

その頃はまだトイプードルブーム前で、
トイプードルがいる店がほとんどありませんでした。

ようやく見つけた店にいたのがろくでした。

人懐っこそうで元気で、第一希望だった白い毛の子犬でした。
耳だけが金髪っぽいいろだったのですが、
「これは大きくなると白くなります」
とお店の女主人に言われ、そうなんだと信じて決めました。
結局ずっと耳の色は金色だったんですけど・・・かわいくなると手放せない。
そんな気持ちになるとわかっててだまされたのかも^^;

ろくは私の弟。かわいくてかわいくて、
毎日一緒に眠りました。
夏は私の枕元に置いたお気に入りのクッションにもたれて、
冬は布団の中にもぐりこんできて、私のお腹にぴったりくっついて。

ずっと一緒に居たかったけど、
進学が東京だったので、高校卒業後はずっと離れ離れになってました。

たまに実家に帰ると、大騒ぎ!
キャンキャン鳴いて跳ねて喜んで、ずっと私の後にくっついてきました。
夜はもちろんずっと私のそばで眠り、
家にいるときはずっとそばにいてくれました。

そんなろくも歳を取り、体も弱くなり、
とうとう入院しなければならないほど具合が悪くなりました。

その頃は社会人だったこともあり、
金曜日の夜に実家に帰って日曜日の夜に東京に戻るということを
2〜3回したころでしょうか。

いつものように、金曜日に帰ってすぐ、
その足で入院先の病院に母と一緒に向かいました。
日曜日は休みなので、金曜日の夜と、土曜日の昼間しか会えないのです。
金曜日、酸素を通して少しでも呼吸が楽になる部屋に入っていたろく。
ぐったりしたまま、目をあけるのがやっとのようでした。

ほんの少しなでるために開けてもらい、
苦しそうなろくをみていることができず、
酸素が少しでも多くろくに届くよう、すぐに扉を閉めてもらいました。

その日はそのまま母の車で二人で帰りました。

翌日の午前、また母に車を出してもらい、
二人でろくに会いにいきました。

苦しそうなろくはやはりぐったりしてて、
先生は
「この休みを越せるかどうか…
 家に連れ帰ってもらってもいいのですが、
 酸素補給ができないので苦しがるかもしれません」
と言いました。

そんなこと言われたら連れて帰るなんて言えないじゃないですか。。。
ここにいた方がろくが楽でいられるならと、
先生にお願いして帰ろうとしたときです。

それまでグッタリしたまま、動くこともできなかったろくが、
「ワンワン、ワンワン、キュンキュン」
と、切ない声で泣き出したのです。

ろくは泣いたんです。

「ひとりにしないで。
 一緒に帰りたい。
 一緒にいたい」

ろくはそう言いたかったんだと思いました。

母も私も涙が止まらなくなるほど悲しくなりました。
ひとりにするのもつらい。
連れて帰るのもろくが辛そうでみていられない。
どちらも辛いけど、ろくは一緒にいたがってる。
帰りたいって言ってる。
二人ともそう聞こえたんです。

ろくのお気に入りのクッションのはいったかごを持ってきていたので、
そこにそっとろくを移動させ、
車に乗せて一緒に帰りました。

車に乗るのが大好きだったろくですが、
途中、なんども辛そうにむせていました。
はぁはぁしてるので、口が乾いてしまい、痛そうでした。
少しでもゆれないよう、車の床にカゴをおき、
ろく、ろく、とずっと声をかけながら帰りました。

いつもの部屋につれてきて、カゴをおくと、
ろくは安心したように少し眠りました。
眠っても息がつらいのでしょう。
すぐに起きてしまい、
はぁはぁと苦しそうな息づかいだけが聞こえました。

夜、眠らないようにしていたのですが、
移動で疲れていた私はうとうとしてしまったようです。
気がついたら母が枕元のろくの横に座り、
そっとなでながら
「大丈夫だよ、大丈夫だよ、一緒にいるよ」
とろくに声をかけていました。

私が起きたことに気づいた母が静かに言いました。

「ろくが逝っちゃう。お別れだよ」

・・・
・・・
・・・

「ろく、がんばったねえ。えらかったねえ」

母は泣いていました。

「さっきろくが震えたようにみえたのは、
 最期の力を振り絞ったときだったんだよ」
と教えてくれました。

ろくは私たちといっしょにくらした自分の家で最期の時を迎えました。
辛かったろうと思いますが、
今でもあのときろくが泣いたのは、
「ひとりにしないで。一緒に帰りたい」
というサインだったんだと思っています。

別れの予感があったんだろうと思います。

毎年、お盆になると、
お別れした人たちのことを思い出します。

今年はろくのことばかり思い出します。
かわいかった。おりこうだった。
私のナイトだったろく。

またあちらで会えるのを楽しみにしています。

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by Hifumiffy | 2018-08-11 01:05 | ひとりごと | Comments(0)

任せる勇気

今年、名古屋は暑い。暑すぎます。
最高気温を記録したわけではないけど、都市部でここまで暑いのって…。

出張でいろいろ回ってるビジネスマンのつぶやきで、
「名古屋から帰ると東京が涼しく思える」
と書いてるのを見て泣けてくる(暑さですぐ涙も乾きますが)

今は個人事業をしているので、
なんでも一人でやらねばならないのですが、
それでも人と組んで仕事することもあり、
そういう時にいつも思い出すようにしていることがあります。

「人に任せるのは勇気。
 人に任せるということは人を信じるということ」

東京で長く務めた会社では、部門長の職につけていただいたりもしていました。
新しく入ってきた人に仕事を任せることはとても不安で、
いつもどこかで見張ってしまう自分がいました。

その会社では、他の会社に協力していただいたりもしていました。
技術力は私なんかが及ばぬほどの力のある方ではあるものの、
お客様のご要望や、私たちからの依頼がちゃんと伝わるか不安で、
見張るわけではないけれど、
納品いただく度にドキドキしながらチェックしていました。

人に任せるのって難しい。
任せたからって、自分に責任がなくなるわけではないとなおさら。

人に任せてやり直すくらいなら自分でやる。
人に任せるのに細かく指示するくらいなら自分でやる。
その方が早いと思えてしまうし、
実際、最初は自分でやる方が時短になると思います。

けれど、それでは仕事量が増やせない。
仕事が増やせないと売上は上がらず、
売上があがらなければ会社は潤わず、自分に還元されることもない。

自分のスキルが上がればなんとかなるってこともそれほどないと、
やはり人手が必要になるのです。

長い目で見れば、人との協力体制がしっかりできていた方が、
より多くの人がより多くの仕事をこなしてくれるのです。

でもやっぱりこれ、最初は不安で、
みんな言い訳をつけて自分で仕事を抱え込もうとしてしまう。

どうしたら人と協力してくれるようになるのかしら。。。

難しいなあ。

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by Hifumiffy | 2018-08-09 00:06 | ひとりごと | Comments(0)

2007年桜とともに…


by Hifumiffy