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徒然なるままに

最近、ひとりごとばかりです。

今回、はじめてかもしれないけれど、このブログにリンクを貼ります。

を読みました。

シオノギ製薬だけがどうこうということではないのですが、
日本で国産のワクチンがなかなか出てこなかった理由がわかりやすく書いてありました。

そしてこの記事をここに貼った理由。
それはシオノギの社長さんが、最初に
ワクチンや治療薬、診断薬を開発するフットワークが重いのではないかと見られていることについては、真摯に受け止めないといけないと思っています。
と言っていることです。

いろんな記事が出ています。
インタビューもたくさんあります。
本当は、こういうことを言っていることがあっても、
それが最初に書かれているかどうかで、読む人の受け止め方って変わるような気がしました。

疑ってかかればどんな言葉も嘘に思えてくることもありますから、
万人が同じように受け止めるとは限りませんが、
少なくとも私はすんなり話を聞こうと思って読みました。

日本は平和な国。だからこその油断?もあるのでしょうか。
開発が遅れている理由があるんですね。

後発になればなるほど、倫理的にできないことが増え、
結果、海外に頼らざるをえないというのは困ります。
個人的には親がいなくなってしまったら「私が対象者になってもいい」と思っています。
子供もいないし、独り身ですし、
誰かの迷惑になるような生き方や死に方はしたくないんです。
そう思ってる人、他にもいるんじゃないのかな?


新型コロナの対策は、国が頑張ってくれていることはわかるけど、
誰もが初めてのことで、これが絶対という対策は決まっていません。

誰かのせいにすれば治ることでもないし、
後手後手になっているとかもっといい方法があるのではないかと批判するのではなく、
「もっとこうしたらいいのではないか?」
という具体案が出てくればいいのにと思います。

そしてその具体案が、誰か特定の人だけが得するようなものではなく、
長い目で見て公平な対応だったと思えるようなことであればいいと思います。
難しそうですが・・・

今思うのは、
高齢者が気の毒だということ。

高度経済成長を支えてくれた世代である今の高齢者。
必死で働き、休むまもなく子育てしながら頑張ってくれ、
ようやく「ホッと一息。好きなことをしてのんびり暮らす」はずだったのに、
リスクの高い感染症が広がる世界で生きていかねばならないなんて、
あまりにも気の毒に思います。

一生に一度の学校の行事ができない若者も気の毒だとは思います。
けれどそれはいつかは思い出話になると思うのです。
その分「未来に楽しいことが待っていると思ってがんばって」って思います。

高齢者にそれは言えません。
未来に・・・というのは考えないようにしているであろう世代の人に、
そんなことは(私は)言えないと思うのです。

新型コロナウイルス。
こんなに大変なことが生きているうちに起こるとは、本当に思っていなかった。
歴史上にしか存在しないものだと思っていたことが起きました。

いつかこのことが「そんなこともあったね。大変な時代だったね」と、
昔話として話ができる時代になればいいなと思います。

# by Hifumiffy | 2021-03-30 09:47 | ひとりごと

春はいいものです

すっかり春の陽気です。

こんなご時世ではありますが、
新型コロナが落ち着きをみせることなく迎えた2度目の春ではありますが、
それでもやっぱり春はいいものです。

空が明るくなりました。
空気がやわらかく感じるようになりました。
厚手のコートを脱ぐことができ、軽やかな服装で出歩けるようになりました。

ここで気をぬくと、昨年の二の舞になりそうなので、
用心はしなければと思いつつも、
それでも春はウキウキした気分になれます。

嫌なこといっぱいです。
ウイルスも仕事も交友関係も、いいことばかりじゃありません。
けれど、生きていかねばなりません。
どうせ生きていかねばならないのなら、すこしでも明るく楽しく生きたいです。

春はなんだかいろいろなことが前向きに考えられる季節です。
暑すぎず、寒すぎず、いい季節。

今のうちに楽しく過ごしておきましょう♪
下を向くのはやめて、上を向いて、笑顔で過ごして生きましょう。
きっといいことがある。そう信じて生きましょう。

# by Hifumiffy | 2021-03-29 13:38 | ひとりごと
資格試験を受験し、不合格になりました。

2年間の通信教育?というか、自分で時間をみつけて学習する必要がありました。
お金も結構かかりました。

期限までにe-Learningを受講し終えたりレポート提出やら試験やらを行わねばならず、
本当はもっと時間を取る予定だったのですが、
父が他界したり、
コロナ騒動最中に2ヶ月近くも寝込んでその後も体調不良が続いたり、
思ってもいなかったことがありました。

その上、本来、追い込みとして仕事をセーブするはずの時期に
突然、たまにしか仕事をもらえない会社の仕事をしなければならなくなりました。
これはちょっと辛かったし、その後の言いようも腹が立つことだったので、
やらなければよかったと心底、、、




うらんでいます!

受験後、
あまりにわからなかったしどう考えても受かるはずがない状況だったので、
「来年も受験しなければならなくなりそうです」
と、仕事のセーブを事前に申し出たら、
「あはは、そんなのわかってたよ。1回で受かるはずないじゃない」
などと、人を馬鹿にしたようなことを言うのです。
(馬鹿にしようとして言った様子ではないのでもともと馬鹿にされているってことのようでした)


まぁこの仕事のことはかなり恨みはしていますが、
不合格なのは当たり前すぎて、それほど落ち込んではいないんです。

がんばって不合格というわけではなく、
1度も教科書を開いていないほど勉強していないのですから、
不合格で当然。
というか、受験したこと自体が失礼というものです。

なのですが、、、
同時に受講していた知人は、どうやら合格した様子で、
いつもなら
「偵察でーす」
とか言いながら、いろいろ様子を聞いてくるのに、
今回は何も言ってこない。

受験前から
「ほとんどわからないし、勉強不足だから
 今回は、来年のために受けるつもりです」
なんて言ってたけど、
私からみたら結構やっていたと思うのです。

同じ話を聞いたのに、
彼女は「この先生の方が教科書読むよりわかりやすかった」とか、
受験後も「教科書の問題が結構そのまま出てましたね」とか、
ちゃんと勉強していないと言えないようなことを言っていたのです。

えらいなぁ〜と思って見ていたし、
彼女が合格できるといいなぁと思っているのですが、
ご本人からすると、嘘をついたような気がして気まずいのか、私に気を使っているのかわからないけど、
何も言ってこないんです。
それがちょっと気がかりで、気持ちが悪いんです。

気の毒がられるのって嫌なものですね。

不合格で当然と本人は思っているけど、はたから見るとそうではないのでしょうね。

あぁ〜すっきりした不合格でありたかったなぁ〜

来年受けるかどうかは未定。資格が欲しかったと言うより知識が必要だっただけなのです。

ほんのすこしではあるものの、今回の受験のためのレポートやらなんやらのおかげで、
今の仕事に役に立ったことはあるし、今後も知識としては必要なことは多少はわかった(つもり)から。

まぁ、ゆっくり考えまーす

# by Hifumiffy | 2021-03-24 16:25 | ひとりごと

Instagram

15年くらい前、このブログに愚痴を書いたことがある。
あこがれの女性から言われた思ってもいなかった言葉に傷ついたことを書いた。

その後も彼女とは同じ業界ということもあり、
ずっとお付き合いが続いていた。

結構、きついことを言われたので、愚痴を聞いてくれた友人に
「普通にお付き合い出来てるのが不思議。
 嫌じゃないの?」
と聞かれたことがあった。

言われたことは心外なことだったので
それは嫌だと思っていたし今もしこりがないと言ったら嘘になる。
けれど、それはそれ。と思っていたし、思うようにしている。
勢いで言われたことではあったけれど、彼女の本心だったのかもしれないけれど、
それはそれ。
あったかい心を持った人だと感じていたので、そんなことで縁を切る気にはなれなかった。
ずっと好きな気持ちはゆらぐことはなかったし、今も好きな人であることに変わりはない。

私が会社を辞め、名古屋に戻ってきてからも、
アメリカでのDeveloperConferenceや、日本でのカンファレンスやユーザー会など、
回数は減ってしまったけれど、それでも会える機会は年に何度かあった。

5年くらい前から、彼女は人目にわかるほど痩せ細ってしまった。
突然の痩せ方で、密かに心配している人も多かった。
私もその一人、とても心配していた。

なんとなく入院したことや手術したようなことがFacebookに書いてあった。
でもそれはなんとなくわかる程度の書き方で、
あまり人に知られたくないという思いが込められているように感じた。

だからあえてそのことは聞かずに、言わずに接していた。
それでもやっぱり心配で、名古屋に帰る前に
「無理しちゃダメですよ〜心配だよ〜」
と言ってしまうことが何度もあった。

今年の年賀状も1月1日に届いていた。
珍しく会社名だけでなく、会社名に続いて
「代表取締役 ○○ ○
 社員一同」
と書かれていた。

毎年いただく年賀状は会社名だけだったはず。
今年は珍しいなぁと思った。

仕事始めと思われる1月4日。
彼女の会社から一斉メールが送られてきた。

彼女が2020年12月28日に亡くなったことが書かれていた。

突然すぎて訳がわからなかった。
思わず、彼女の会社に勤めている友人の携帯に電話をかけた。

本当のことだった。
彼女はもういないのだ。
あまりにも突然、私たちの前から去ってしまった。

思い出を語り合うこともできないこの状況の中、
友人も泣きながら話してくれた。
5年前にはガンだということがわかっていたこと。
脳にも転移しており、12月上旬に手術して取り除いたこと。
一旦は退院できたけど、体調が悪くなり入院し、
そのまま帰らぬ人になったこと。

今も声が聞こえるような気がしてしまう。

年上のお姉さんではあったが、
愛くるしい人だった。
人に優しい人だった。
心が清らかな人だった。

過去形にしなければならないのが辛い。

彼女はいろんなことに興味を持ち、
人が集まってみていると、屈託なく
「何、なに〜?
 見せて見せて〜」
と人懐っこい笑顔で懐に飛び込んできてくれる人だった。

たくさんの人が彼女を知っていたし、
彼女のことを大切に思っていた。
日本だけでなく、それこそ世界中のFileMakerの開発者が彼女のことを知っていた。

彼女が亡くなり、アメリカの友人が彼女の追悼ページを用意してくれた。
私も誘ってもらい、私の大切な思い出を共有してもらい、
皆さんの大切な思い出を共有させてもらった。

こんなにたくさんの人に愛されていたことに、
改めて驚くほどたくさんの人が彼女のことを惜しんでいることを知った。

あまりにも突然で今もまだ受け入れきれていない。
東京と名古屋という距離もあり、
年に1回会えるかどうかだったので、今年の秋にはまた会えるように思えてしまう。

2020年1月10日ごろ、東京の六本木ヒルズで会ったのが最後となってしまった。
そのとき撮らせてもらった写真が一緒に写っている最後の写真となった。

いろんな人に会わせてくれてありがとう。
優しく接してくれてありがとう。
少しは頼ってくれてありがとう。役に立てていると思わせてもらえて、
少しは恩返しできているように思うんだけどどうなのかなぁ。

彼女が幸せな時間を過ごしていたことが垣間見られる「追悼ページ」の写真や思い出話が
心に染みる。
心に彼女はいてくれる。
そう思って、今は上を向いてがんばるのみ。

彼女のInstagramの優しさにあふれる写真と言の葉が、
彼女の生き様を残してくれた。
今はまだ切ないけれど、それでも彼女に会いたくて、毎日Instagramを開いている。

# by Hifumiffy | 2021-01-12 00:16 | ひとりごと

父を思う

今日、姉がめずらしく父の話をし始めた。

「パパさんは雲を見るのが好きだったんだよね」

私はそのことを知らなかった。
姉はその話を父から聞いたと言った。

最近、姉は空の写真をよく撮るのだそうだ。
そうしていたら、雲の形がいろいろあって面白いと思っていることに気づき、
父のことを思ったのだそうだ。

母も
「そうそう。雲を見て『明日は天気が悪くなりそうだから釣りは行けないな』とか言ってたわ」
と言った。

そうだったんだ。雲を見るのが好きだったんだ。
それじゃあ、
父の最後になってしまった部屋のベッドから、
空が見えなかったのはさみしかったろうなぁと思った。

父が手術後入れてもらった部屋では窓際のベッドを割り当てられていた。
転院先も大部屋でいいという父の言葉を尊重したものの、
なんとなく空が見えた方が、太陽の光が見られる方がいいだろうと思っていたので、
希望として窓がある側のベッドにしてあげて欲しいと伝えており、
転院先でも窓際のベッドにしてもらえた。

けれど、老健ではそんなことは聞いてももらえない。
トイレ近く、というよりトイレの真前の部屋の一番トイレに近いベッド。
なんとなく嫌な感じがする場所だった。
空も見えないし空気の流れも悪い。
そんな場所に父は居た。

気落ちしたのも無理はない。

もともと老健には行きたくないと言っていた父。
足元がしっかりしていないこと、
父のための玄関前の階段工事が終わっていなかったことが理由で、
しばらくは家に帰って来られなかったのである。

今になって思えば、
家に帰ってきた方が父は元気になっていたのかもしれないと思う。
多少の無理はあっても、老健以外の場所、
空いてる部屋がある相方のマンションを借りてもよかったのかもしれない。

そうすれば、父の好きな雲が見られる場所で、
好きなテレビを見ながら、
大好きな母と一緒に楽しく過ごすことができたのかもしれない。

楽しい時間であればもっと長く生きてくれたかもしれない。

父の好きなものを知らなかった。
父は私たちのことを思ったより見ていてくれて、
いろんな興味を持たせてくれたのに、私は父のことを知らなかったんだと、
申し訳なく思う。

父は私たちにいろんなものを見せてくれたり連れて行ってくれたりした。

姉は言った。
「興味もなかったのに、突然スターウォーズを観に連れて行ってくれて、
 それで私はアメリカに興味を持つようになって留学したいと思って実現した」

そうだったんだ。
姉はあまり父にいい思いを持っていないと言っていたけど、
いなくなってしまった父に感謝しているんだと知った。

自分が最近、空を見て雲を面白いと思ったとき、
ふと父を思ったという姉がすてきに見えた。

父は私たちを育ててくれていた。
一緒にいる時間は少なかったけど、
私たちに人生の糧になることを見つけさせてくれていた。

あらためて父を思った。

# by Hifumiffy | 2020-11-28 21:05 | 家族とのこと

2007年桜とともに…


by Hifumiffy